「KIMONO姫」誕生秘話 -きものに恋した編集長-
~KIMONO姫 編集長 田辺真由美氏~

2017年1月19日 (木)、アンティークきものブームの火付け役『KIMONO姫』(祥伝社)編集長 田辺真由美氏が、早稲田大学「きもの学」で講演されました。「きものってとにかく可愛くて楽しい!」を一途に伝える田辺氏が、きものをファッションとして発信する誌面づくりから、『KIMONO姫』の次の目標までを語りました。

はじめまして、このたびは「きもの学」にてこのような機会を設けていただき、感謝しております。KIMONO姫という不定期刊行のムックを作っております田辺真由美と申します。基本的には祥伝社という出版社の社員でありまして、普段はコミック出版部というところに所属して漫画の編集をしています。会社員として配属されている本来の仕事では、きものは何も関係ないです。

具体的には「FEEL YOUNG」という月刊誌と「on BLUE」といういわゆるBL誌の編集長をしています。こちらは直の作家担当というわけでなく、編集長として全体の計画、ディレクションなどとともに、コンテンツを使っていかに売上を上げるかを考えたり交渉したりする仕事がメインです。具体的にわかりやすいのは、ドラマ化などの映像化や漫画のコマを使った広告などの実現ですね。例えば弊誌で連載しているいくえみ綾さんの「あなたのことはそれほど」ですが、今年実写ドラマ化が決まりましてかなりの重版が見込めることになりました。漫画のコマを使用した電車内や駅構内ポスター等の広告の企画もあります。最近では、都内主要駅にてジョージ朝倉先生の「ピースオブケイク」のコマを使用した日本酒・上善如水とのコラボ広告なども登場しました。

この2誌とは別に、数人直接担当している作家もいます。昨年コミックスが出たものですと、まずは魚田南さんの「はらへりあらたの京都めし」の3巻、こちらは全3巻で完結しております。他にはちっぴさんの「ヅカねこ」、ヒグチユウコさんの「ボリス絵日記」がありますね。魚田さんは現在新連載をまとめ中で、3月に「カラスのいとし京都めし」というタイトルの新刊が出ます。残り2名は今年中に2巻を出したいなあと思っています。たまたまですが、この3名はもともと漫画家ではなく、漫画を描かせたら面白そうだなと思ってそれぞれに持ちかけて、というか口説いて描いていただくことになりました。特にヒグチユウコさんの絵日記は、画家としてそれなりの立ち位置にいらっしゃる方ですし、本来の作風と違うしそもそも落書きなので絶対本にはしたくないとずっと仰っていたのを、3年がかりでようやくOKをいただいて出版できました。おかげさまで大変好評をいただき、何度も重版出来しておりまして編集者冥利に尽きます。

KIMONO姫のきっかけ

本日は、私がKIMONO姫を作るようになったきっかけと、なぜ今でも作り続けているのか、自分が考えるKIMONO姫の役割についてお話ししたいと思います。みなさんのお役に立つかはちょっと自信がないのですが、お聴きいただけると幸いです。

KIMONO姫① ことはじめ編より

KIMONO姫は2002年に個人的に企画を立ち上げ、広告収入の獲得含め、1人でほそぼそ続けている社内における完全な個人事業です。もともときものに関わる何かをしていたわけではなく、入社以来ずっとファッション誌の編集をしておりました。

大学卒業後に祥伝社に入社し、まずは「BOON」という男性ストリート誌に配属になりました。その後「ZOLA」というハイファッション系の雑誌、今出ているものだと「装苑」が一番近いかなと思います。こちらは創刊して1年半で休刊になってしまい、その後「Zipper」というハイティーン向けのファッション誌の編集部に所属しました。ここでたまたまご縁があった矢沢あいさんの担当をすることになり、「パラダイスキス」という漫画の担当をさせていただいた流れでその後コミック編集部に異動しました。そこにいるときにいろいろありまして、急に閃いてしまってKIMONO姫を作ることになりました。

2001年の年末に地元をふらついていた時に、たまたまきもの姿の友人に会いました。今まで見たこともないような柄行きのきもので、しかもド派手なエッフェル塔プリントのアニエスベーのポンチョを合わせていて、めちゃくちゃ可愛かったのです。その友人が、「このきものは銘仙という今は作られていないアンティークのきものなのよ」と教えてくれて。実は少量は今でも作られてはいるのですが。でも現代のものではない、どうやら古着として買えるらしいということはわかりました。
その友人と別れてから、じわじわとそのきものが気になってきて仕方がなくて、今思うとただの恋のような感覚でした。寝ても覚めても、あの時見た銘仙とは?と考えていて、でもその歴史や仕組みが知りたいわけではなく、もっとたくさんの美しい銘仙が見たいという欲求だったのです。銘仙がたくさん載っている本はないかなと書店で探し、見つからず、古いきものらしいから古書店かなと探し、見つからず。「別冊太陽」のような骨董系の本を見つけはしたのですけれど、基本的に「服」とか「ファッション」として捉えてしまったのでただの物撮りとかだと断然つまらなくて。もっと銘仙を着ているところやどんなふうに着こなすのかを見たい!と思ったのです。

頭を抱えこんでしまったところにふと閃いてしまいました。私、本を作る仕事してるんじゃない?!と気付いたのです。私本作れるじゃない?!って。せっかく本を作る仕事ができる環境にいるのに、と気付いて真面目に企画書を作って会社に掛け合って実現しました。きものの本として出すなら浴衣の季節の前でないとということで、ぎりぎり4月末に出すことにしました。2001年末に突然の恋に落ちて、KIMONO姫が誕生するまで4ヵ月かかりませんでした。ちなみに創刊時は「KIMONO道」という名前でした。

KIMONO姫⑬より 秩父銘仙

企画が通ってから誕生まで

今考えてもなぜこの企画が通ってしまったのか謎なのです、正直。きちんとしたマーケティングも特にしておらず、まあウチの会社がノリで動いてしまうような良くも悪くもゆるい体質というのもあるのですけれど。あとはきものの神様のお導きだったのかも、なんてちょっとロマンティックなことも考えたりしています。

手探りで作り始めたKIMONO姫ですが、きものに関して何の知識もなく、ただただかわいい、素敵、大好き、という感情のみで動いていたので、今思えば冷や汗をかくようなこともたくさんありました。

アンティークのきもの店に、それぞれのこだわりを込めたコーディネートを2体、できれば夏冬など季節を違えて組んでほしいとお願いしたときにも、「冬物って袷ならいいの?夏物は単衣ならいいの?薄物?それとも紗とか入れたほうがいい?」など矢継ぎ早に尋ねられ、正直一つも単語がわからなくて困ったりもしました。一応説明しますと、袷というのは裏地がついていて10月から5月まで着るもの、単衣は裏地のないもので主に6月9月の季節の変わり目に着用するもの、薄物は7~8月の盛夏に着用、そして紗というのは薄物の地にまさに紗幕のような生地を重ねて柄に奥行きを出したり、涼しげに見せる演出をしたりする贅沢なきものです。重なっているので実際に着るには涼しいわけではなく、あまり実用的とは言えないきものですね。袷と単衣の季節分けも、最近の亜熱帯のような日本の気候ではあまり厳密ではなくなっている感覚です。

KIMONO姫①

基本的にジャンルはバラバラなのですが、ずっとファッション誌を作っていたので、そのノウハウはありました。あくまでもそれをきものに置き換えただけで作りたかったのです。

まずは第一に、ビジュアルで乙女心を鷲掴み、それが意外とお安い手の届くものであることを伝え、それにまつわるキュンとするサイドストーリーや史実などを絡めて厚みというか奥行きを出す。そして具体的にそれをすでに楽しんでいる先人の方の様々なスタンスを提供し、いずれかの形に共感をしていただく。最後にお買い物に誘う。というファッション誌王道の構成を土台にしています。

KIMONO姫を作るにあたって、自分の中でどうしても作りたいビジュアルがありまして。それを実現してくれるのは、スタイリストの大森伃佑子さんしかいないと思い込んでおりました。
私は10代の頃に「Olive」愛読者でしたが、彼女が「Olive」で活躍していた時代とは微妙に購読期間とずれていました。でもなぜか、なんとしてでも彼女にお願いしなければならないと強く思ってしまっていて。結果、本当に自分は正しかったなと思っています。今KIMONO姫が続けられているのは、まず彼女にスタイリングディレクションをお願いしてキービジュアルを定められたからだなと。
大森さんには、まず銘仙の楽しさ素晴らしさを伝えたい、その時代感とともに当時のものを今どんなふうに見せたらいいのか、そしてあくまでもきものとしてコーディネートしてみせてほしい旨をお願いしました。いわゆる「和」の雰囲気ではなく、あくまでも少女感・乙女感を出したいと思っていました。現代における中原淳一さんの世界の具現化です。

KIMONO姫①

きもの=高価でつまらない、の世間の認識を覆すにはアンティークの力が必要だと考えました。協力を快く受けてくださったアンティークきもの店のコーディネートページでは、実際に買える店舗の紹介はもちろんですが、価格感も出したいと考えました。なるべく現実的な価格の、20~30代くらいの方が手を出せる範囲のもの。骨董ではなくちょっと贅沢なヴィンテージを買うような感覚で捉えてほしかった。そして実際に当時アンティークきものを着ることを楽しんでいる方のインタビューは、骨董市などのコツやどんな場所に着ていくのか、日常のどこでどんなふうにきものを持ってきて楽しんでいるのかを現実に下ろす目的で作りました。

その他に、中原淳一さんの絵のモデルになった声楽家の大谷洌子(おおたにきよこ)さんのインタビューや、心躍るきものまわりの小物作家さん紹介など、知識やお買い物情報も盛り込みました。

誕生後の世界

そんなこんなで2002年4月にKIMONO姫は誕生しました。確か初刷は1万部とかだったかと思いますが、ほぼ瞬殺で完売しました。私自身、初刷は書店の店頭に並んでいるのを結局見られませんでした。今よりも、見知らぬ世界の、でも気になる本を、「ま、いっか」で買ってしまう行動に対してハードルが低かったという時代背景もあったかと思います。当時はまだ美術書や写真集や洋書など、特に実用的でなくても手元に置いておきたいから本を買う、という文化が今よりもう少しあったようにも思います。

とにもかくにも、その後きものブームは起こりました。類似誌もいくつかできて、そして消えてもいきました。

KIMONO姫は、当初年に2回刊行したこともありましたが、今は1年に1冊のペースで出版しています。毎回テーマを設け、特集主義で形式は設けず、試行錯誤しながら編集自体は1人で作っております。結局創刊号は累計で10万部ほど売れまして、不定期ではありますが現在も約1年に1冊のペースでなんとか出版しています。

入り口で有り続けること

私がKIMONO姫を作る上で必ず守っている点は、「初心者のための入り口に立ち続けること」です。

定期的に本を作っていますと、前巻を踏まえて作ってしまいがちになることはよくあります。読者も知識をつけてきますし、それなりのものを求められることも事実なんですね。でもそれをやってしまうと、前を読んでいないと最新刊は楽しめなくなってしまう。ストーリーものならいざ知らず、最初から読まないと面白くないものはエンタメとしては失敗だと思っています。すでにそれは入り口ではなくなってしまう。それは絶対に避けたいと思って作っています。全くの個人的感想です。特集主義で作っているのもあるので、番号は振っていますが、興味を持った号から読んでいただければ幸いです。カバーガールの好みで手に取ってもらってもうれしいですね。

また、毎回、きものに全く興味のない人を恋に落としたいと思って作っています。きものは入り口が見つけにくい、でも入ってしまったら無限の拡がりをもつエンタメだと思っています。
どんなに慣れたってやっぱり準備や着付けは面倒だし、衣服としては洋服の方が手っ取り早い。きものの外側にいる人にとっては、きものは決まり事が多くて手入れも大変で、面倒が多いということばかりが見えてしまうものなのです。ちゃんと着なければと思うばかりに着付け教本だったり、季節の決まりごとや収納の仕方、「きもの1枚に帯3本」みたいな、本当なら上級者が実用的に必要になる情報を先に仕入れたりしがちなんですよね。でも先にそんなものを見てしまったらまずハマるわけがない。ちょっと興味あるけど入り口どこかな、という方にはその良さしか伝えないほうがいいと思っています。まずはそこに触れることでの快感というか、喜びを知らせることのほうが大事。入ってしまえば、その楽しさのためなら多少の面倒臭さは目を瞑れるものです。まずはきもので高揚する気分を知ってほしい。なので、KIMONO姫ではきものの面倒なところや嫌な部分は絶対に出さないように気をつけています。入ってしまってから「しまった!」と思うかもしれないけれど、そういった意味でも入り口としての役割を考えつつ作っています。

KIMONO姫として次のステップ

今までは読者に対してのアプローチばかり考えて、とにかく本を手に取って欲しい、読んで欲しい、できれば買って欲しい、ということばかり考えていたのですが、昨年出した「メイドインジャパン編」を作りながら、きもの業界の今後について考えるようになりました。

KIMONO姫も創刊から15年経ちまして、当時学生だったり別の仕事についていたりしていた読者の方が、独立したり転職したりしてきものまわりの作家になっているのですね。KIMONO姫によって人生が変わってしまった方がそれはまあ幸せそうにきものまわりの仕事をしていて、こちらは大変嬉しい。主にアパレル業界にいらした方や、イラストレーターさん、美大に行かれた方などが多いですね。そういった、個人で活動されているようなきものまわりのアーティストを支援していきたいです。この業界にもっと才能が集まって欲しいと思っています。それがまた業界全体の盛り上がりにつながるのではないでしょうか。

KIMONO姫⑭

前号ではもともときもの業界でない方が作家になって作られた作品は紹介できたのですが、今後さらにチャレンジしていきたいのは、もともとのきもの産業の中にいる若手の方、特に伝統産業の中から発信される、もっと今ときめくことのできる作品を見たい、ということです。若手世代の中には伝統に新しい息吹を吹き込むことが出来る人がいるのではないか、もっとアッと驚くような、人が飛びつくようなデザインや色柄のものが可能なのではないか、と期待が膨らみます。
沢山の人が、もっと新しいものが見たい、着てみたい、と思ってくれるような商品が世に出ることを期待しますし、そういった手助けもしてみたい。商品プロデュースなどにも関わってみたいと思っています。

きものはすでに自然には発展しない文化だと思っています。きものは無くなっても日常生活には困らない。でもこんなに楽しい心躍る文化を廃れさせるのは大変にもったいない。もっと未来に向かって存続してほしいのです。未来を生きる方にもこの楽しさを知ってほしい。そのためにKIMONO姫として何ができるのかを模索していきたいです。ただきものが売れればいい、文化が存続すればいいということだけではなく、外に着ていきたい! と思っていただけるものを生み出していきたいと思っています。

ファッションはエンターテイメントであって、確かに無くても生きていけるとは思います。しかし無ければ豊かさを持って生きていけません。きものがファッションとして続いていけるように、また発展するように願ってこれからもKIMONO姫をつくっていきたいと思います。本日はありがとうございました。

質疑応答

藤井 浩司教授(早稲田大学):ありがとうございました。それではせっかくの機会ですので、どなたか田辺先生にご質問がある方はお願いします。
学生A:下から襦袢が見えている表紙(①ことはじめ編)を見せていただきましたが、おはしょりはつくられていたと思います。それはおはしょりを大事にしてスタイリングをされているのでしょうか。

田辺:その時々によっておはしょりがあった方が美しい場合と、おはしょりの線が無い方が良い場合とがあるので、その時つくりたいスタイルによって変えています。そのやり方は、14号に特集してあります。

藤井教授:きもののコーディネーターはKIMONO姫に何名ほどいらっしゃるのですか。

田辺:最終的なスタイリングはスタイリストさんにお願いしていまして、特に専属のスタイリストがいるのではなく、普段きものスタイリストとして活動されている方や洋服のスタイリストさんにご協力いただいています。洋服のスタイリングをされている方は斬新な合わせ方をされるので、それを期待してお願いすることもあります。

藤井教授:斬新な発想というと、具体的にはどのようなスタイリングでしょうか。

田辺:きものとして調和のとれた色味やきものの「格」など、良くも悪くも概念があると思いますが、洋服のスタイリストさんは色や柄のバランスだけで考えることもあるので、コーディネートの道筋が違うものが出てきます。きもの業界の方からするとギョッとしてしまう組み合わせもあるかもしれませんが、見た目の可愛らしさがあればKIMONO姫としては尊重していきたいと思っています。

藤井教授:先ほどスタイリストの大森伃佑子さんを挙げられましたが、まさに和洋を組み合わせてそれぞれのエッセンスを融合する、という潮流は確かなものと感じていらっしゃいますか? 例えば夏の浴衣であってもデザインも着方も毎年変化をしているように感じるのですが。

田辺:呉服屋が百貨店になって一般の方がデパートで買うようになった際に、百貨店から「今年の一押しはコレ!」とモードを出していた時代もあるので、その年によって変わってもいいし、伝統的にずっと続けていくものがあってもいい。それぞれあった方が刺激し合えると思います。

藤井教授:デパートのきもの屋はなかなか行きづらいですが、きもの屋の店員さんは一度話すと色々と教えてくれる方が多いですよね。売るというよりもきものの知識を教えていただける機会であり、それはそれで楽しいところがあると思います。最近原宿の表参道でもそういったアンティークきもののお店が増えている気がしますが、それ以前にここにいる受講生は全てが初めて尽くしで、きものや小物について見るのも、ましてやお店に入ることも初めてという方も多い。どんなお店できものを買えばいいのか、初めてという壁をどこで、どういう形で踏み出す機会があるのか教えていただけますか。

田辺:KIMONO姫のスタイルブック編で取材をしたような、ブロガーさんやきものを身近に楽しんで作品もつくっているような方々が伊勢丹や阪急などの大きい百貨店で期間限定のブースを出されたりしているので、そういう所からならきものにも入りやすいんじゃないかなと思います。ただ毎日そこに行けば必ずお店があるわけではないので情報収集をしなくてはなりませんが、何となく自分が気に入ったスタイルの方を見つけたら、その方が店頭に立たれている時にお話を聞いてみてはいかがでしょうか。
またKIMONO姫創刊当時はお店も少なく、骨董市に行ってアンティークものを探したりもしました。現代ものとなるときもの屋は一度入ったら出られないのではというイメージもありましたが、今はネットが広まったことで入りやすくなり、若い方にもきものファンが増えたと感じます。いきなりネットからだと難しいとおっしゃる方もいるかもしれませんが、一つの入り口としては良いと思います。

藤井教授:他にも分からないことといえば、何より着付けですよね。KIMONO姫に掲載されているものも、可愛いな、身につけたいな、とここにいる受講生のほとんどが感じると思いますし、もし着られる機会があれば、袖を通して街を歩いてみたい、装いたい、と思う人も多いでしょう。でもその想いを実現するまでには、きものを購入することもそうですし、更にその先のことを考えるとなかなかきものに踏み出せないと思います。やはりどこかで着付けを勉強することが必要でしょうか。

田辺:まずはきもの仲間を見つけるといいと思います。今はSNSで着姿をアップされている方も多いので、こういうのを着たいという着姿を見つけたら、その方々に接触してみてください。「きものを着てみたいけれど着られない」、と「知りたい!」ということを発信すれば、おそらくきものの世界の人たちはワッと教えてくれます。まず最初は学校に行ってとか、ちゃんと着られなきゃ困るとかは置いておいて、もし着たいのであればとりあえず最初はお店で着付けてもらって、そこで自分でも出来そうだと思えば、自分で気に入ったものを一枚購入し家で練習することもできます。ちゃんと揃えてから頑張ろうと思わなくてもいいんです。

学生B:素敵なお話をありがとうございます。私はきものを持っていて自分でも着られるのですが、例えばきものを買ったらどういう所に着ていくとより楽しめますか。

田辺:私が最初にきものの恋に落ちてしまった頃は、みんなで骨董市に行ったり、何かと理由をつけて5、6人できものを着て集まっていました。もし着崩れた時でも直し合えるし、アドバイスも貰えるし、きものの話で盛り上がることもできるので、場所というよりはとにかく仲間をつくって集まると良いですよ。いきなり歌舞伎を見に行くとなると敷居が高いので、普段着のきものならご飯を食べに行ったりお祭りに行ったり、そういう気軽な感じが良いんじゃないでしょうか。そうした中でたまにはレストランでお高めなランチを、せっかくならきものを着て行こうとなれば、それもまた非日常を楽しめて良いなと思います。

藤井教授:大学に着てくるのも良いかもしれませんね。

田辺:そうですね。どんな格好でもいいわけですから。

藤井教授:きもので講義を受けたりしても構わないですからね。昔はよくきものを着ていると全然知らない年配の女性に触ってこられたり、声をかけられたりしましたが、大学ではまず無いでしょうし、ある意味一番誰の目も気にしなくてもいい所とも言えます。このクラスの中にも着付けサークルに所属している学生がいるようですが、その人たちもきものを着ている人がいたらちょっとしたアドバイスをしてあげられますし、色んな意味で大学は着て来やすい、トライしやすい場所のように思います。

学生C:先日書店でKIMONO姫の13号を見つけたのですが、表紙が蛍光ピンクですごく目立っていました。雑誌を手に取ってもらう為に、表紙で何か工夫をされているのですか

KIMONO姫⑬ なんて楽しいキモノ編より

田辺:もちろん! そればかりを気にしていると言っても過言ではありません。何とかして目に留めたい、何とかして手に取ってほしい、何だろうコレ、と思わせるのがまず表紙の役割です。13号のピンクの表紙はちょっとアングラっぽさを出したくて、下北沢の小さな劇場のチラシをイメージしてつくりました。そこでインパクトを感じていただけたなら嬉しいです。

藤井教授:本当に凄いですよね、2万部ですから。やはりそれだけ20代の女性、もちろん男性もいるでしょうが、きものに何らかの想いを寄せる人達がいるということです。ですが今日きものを着て受講されている方が見受けられないことから考えても、その一方でなかなかきものに踏み出せない人達がきっと多いんだろうと思います。最初きものを着ようと思い自分で買いに行こうした時に、どのぐらいお金を持っていけば良いものでしょうか。それこそびっくりするような値段なのでは、と感じている人も多いと思うのですが。

田辺:そうですね。だとしたら最初は、古着屋やアンティークショップ、骨董市に行かれると良いと思います。状態はまちまちですが古着やアンティークきものが数千円からあったりしますし、骨董市なんかだと自由に触って羽織ることもできます。そういった所だとお金をたくさん持って行かなくても、もちろん買わなくてもいいですし、逆に最初はそんなにお金を持って行かない方がいいと思います。

藤井教授:先生が最初にきものをお召しになった時はどのようなシーンでしたか。

田辺:実は私、成人式の時に振袖を着ていないんです。当時は特に興味が無くて。ただ高校生の時に一度だけ、きものを自分で着られないかなとふと思ったことがあって、地元の公民館で開催されている無料の着付け講習に参加して一通りはそこで教えてもらいました。でもその時に特にハマることも無く、急に天から何かが降ってきたように生まれたKIMONO姫をつくる直前まで、全く着ていませんでした。

藤井教授:先ほど先生が繰り返し仰っていた「きものを着る楽しさを未来に向けて繋いでいきたい」という気持ちは皆さんにも伝わっていると思いますが、こういった機会を通して繋がるきっかけになるといいですね。

学生D:オシャレでカワイイきものの提案をなさっていると感じますが、インスピレーションの源はどういった所にあるのでしょうか。

田辺:何を見て、という特定のものは正直ありませんが、基本的にテンションの上がる美しくて楽しいものが大好きなので、演劇も見ますし、映画も好きですし、色々な写真集も見ます。何かで何かが閃くというわけではないのですが、とにかくいつもテンションの上がる何かを探している気がします。

学生D:私もよくKIMONO姫を読ませていただいていますが、きっかけとして最初に目に付いたのは蒼井優さんが表紙の号で、カワイイなあと思って買ってしまいました。今までたくさん雑誌をつくられてきた中で、特にきものの雑誌でこのページはお気に入り、思い入れがあるというものはありますか。

KIMONO姫⑧ はじめましてユカタ編より

田辺:自誌ではないのですが、大森仔佑子さんにスタイリングをお願いしたいと思ったきっかけが確か「Olive」の最終号で掲載されていたゆかたのスタイリングで、本当に金魚が泳いでるように見えるほど素晴らしかったんです。今にして思うと、それが私のきっかけだったのかなあと何となく思います。

藤井教授:何人もの女優さんやタレントさんをスタジオでスタイリングして撮影されていると思いますが、その中で一番印象に残った場面や人はどういうものでしょうか。

田辺:一つ自慢なのですが、先ほどお話にあった蒼井優さんに撮影をお願いしてスタジオで初めてお会いした時に、「私KIMONO姫を全巻持っているんです。いつ声をかけてくれるかなって待っていたんです。」と言われたことは、本当にKIMONO姫を作っていてよかった、生きていて良かったと思ったエピソードです。

藤井教授:グローバル化が進む中で、これから取り組んでいきたいことはありますか。

田辺:日本に限らず、どこの国でも民族衣装は日常着ではなくなってきていると思います。それは今の生活様式として仕方が無いことで、生活に合っていないのは重々承知していますが、文化として残すべきだとは思います。せっかくそういった国に生まれたのであれば、生まれた国でなくとも外国の方が興味を持ってわざわざ日本を選んで過ごされているのであれば、なるべくそういった文化を知ってほしいし、味わってほしいです。せっかくこんなにテンションの上がる楽しいエンタメがあるのならばやらない手はないと思っているので、その楽しさをどんな形で届けたら分かってもらえるだろうということをずっとずっと考えていきたいです。雑誌だけでなく、ファッションショーのようなイベントもそうですし、それ以外にも色々な方法があると思うので、何らかの形で驚かせていきたいと思います。改めて本日はありがとうございました。