ゆかた学 -200年の変化から最新トレンドまで-

2018年7月9日(月) 文化服装学院ファッション流通科 スタイリストコースで行われた当社会長 矢嶋孝敏講義「ゆかた学」の講義内容を逐語訳したものです。 今回はテーマを「ゆかた学」とし、その歴史から始まり、素材や技法の変 […]

2018年7月9日(月) 文化服装学院ファッション流通科 スタイリストコースで行われた当社会長 矢嶋孝敏講義「ゆかた学」の講義内容を逐語訳したものです。

今回はテーマを「ゆかた学」とし、その歴史から始まり、素材や技法の変化、最新トレンド等をお伝えできればと思います。

ゆかたの誕生と歴史

ゆかたの最古の起源は、漢字で浴衣(よくい)と書くように、天平2年(730年)に聖武天皇の夫人、光明皇后が建てた施薬院の蒸風呂で、高貴な方々が汗を取るために着た湯帷子(ゆかたびら)と言われています。1300年も前ですね。しかし庶民までゆかたの原型が普及したのは、江戸時代の中期以降です。当時の銭湯は混浴でしたが、石榴口(ざくろぐち)と呼ばれる入口を通れば男女が一緒になる構造でした。それが風俗上まずいとされ、浴室内で女性がゆかたを着て男性の目線を遮るようになったとも言われています。

1787年頃 鳥居清長「女湯」

江戸の後期からは規制が厳しくなり風呂が男女別々に分けられ、1787年頃に鳥居清長が描いた「女湯」のように、湯上がりにゆかたを着るようになり、一般にも広がっていきました。今から200年以上も前です。

大正2年(1913年)上村松園「蛍」

明治になると、浴衣(よくい)に留まらず寝巻きとしても着られるようになりました。明治の風俗を描いた上村松園の「蛍」(大正2年)では、帯はしごきや伊達締めといった簡単に締められる細帯をして、このまま寝巻きとして着用していました。今から100年ほど前でしょうか。

昭和28年(1953年)「東京物語」© 松竹株式会社」

そして大正から昭和にかけて、寝巻きだけではなく、更に広く部屋着として着られるようになります。昭和28年の小津安二郎の名画「東京物語」での1シーンではゆかたを着た親子が部屋でくつろいでいますし、昭和8年の益田玉城の「現代隅田川風景」(下図)を見ると外着まではいかずとも、隅田川にてゆかたで夕涼みをしていたことが伺えます。これが今から60年ほど前。

昭和8年(1933年)益田玉城「現代隅田川風景」

それが花火を介して外出着になったのは、実は昭和の末から平成にかけての頃で、わずか30年前です。昭和中期まではゆかたは寝巻きと考えられていたため、ゆかた姿ではホテルのロビーに立ち入れませんでした。今もホテルの一部や旅館では寝巻きとしてゆかた形状のものを部屋に揃えている所がありますね。そしてその際には必ずと言っていいほど、「こちらは部屋の中でご使用ください」、「レストランやロビーにはこちらではお越しいただけません」等と書いてあります。つまり寝巻きという認識なのです。 ゆかたが寝巻きから夏の外出着にまで進化したのは、「ファッションやルールというのは時代環境によって変わるものであり、きものだからといってルールにがんじがらめになる必要はない」という1つの証拠ではないかと思います。和服も洋服と同じ服でありファッションですから、時代とともに変化し進化し続けているのです。きものだからといって伝統に縛られているわけではないことがはっきりわかりますね。

そして今では、ゆかたと夏きものの境目がどんどん無くなってきています。

こちらのゆかたは肩山から前身頃まで柄が繋がっており、柄行きとしてはきものの範疇になります。このタイプの価格は3万~4万円くらいです。

こちらは絞りのゆかたです。絞りのきものというと振袖や訪問着のごく一部の超高級品くらいしかありませんが、実は絞りのゆかたは昨今とてもポピュラーになってきています。価格は5万~8万円くらいで、ゆかたとしては高級になりますが、素材が綿なので、絞りの絹のきものに比べたら遥かにお手頃な価格となります。

このようなゆかたの夏きもの化が、ポスト平成時代の傾向になるのはほぼ確実です。

私は15年前から「ゆかたは夏のきものだ」と主張していましたが、そうじゃないと言う方がきもの業界にもたくさんいました。きものはフォーマルなもの、だからカジュアルの代表であるゆかたは違うんだ、と。しかし実際にはもうそういう境はほとんど無くなっており、ゆかたは立派な夏のきものと言えるようになるでしょう。

ゆかた新時代へ

次にゆかたの市場がどのように変わってきたか、弊社のデータで見ていきます。2007年から2017年までのわずか10年間で、市場は様々な側面で大きく変化しました。まず売上の年代構成比について特筆すべきは、25歳以下が75%→57%に減った一方で、41歳以上が6%→15%と2倍以上伸びている点です。10年前まではゆかたと言えば25歳以下の若い人が着るものだったのが、ファッションとして全年代に広がっていったことを示しています。

ゆかた 年代別売上構成比

こちらと並行して起きたのが、マイサイズオーダーの増加です。皆さんが普段目にするゆかたの多くはプレタ(既成品)で、S・M・Lからなるべく自分に近いサイズのものを買われると思います。対してマイサイズオーダーとは自分の身長や腕の長さ等に合わせて反物からゆかたをつくるというもので、その受注がこの10年間で1.4倍に増えました。これはゆかたを自分サイズでもっと美しく、ファッションとして着たいという気持ちの表れで、ゆかたがきもの風に着られるようになった1つの証拠でもあります。

上述に関連して、昨年100周年を迎えた弊社では「5分で着られるクイックゆかた」の展開をスタートしました。このクイックゆかたの特徴は、プレタを加工するのではなく、マイサイズゆかたを加工する、という点です。過去色んな方々がこのようなクイックゆかたに挑戦してきましたが、ほとんど失敗してきました。それはプレタでやろうとしたからで、マイサイズゆかたでのクイック加工だからこそ、フィッティング感があり違和感の無い美しいシルエットを初めてつくれたのです。これが今までと全く違う点です。

それでは今からクイックゆかたと帯の着装を実演いたします。

スタッフ:こちらが私の身体に合わせて仕立てられている、マイサイズオーダーのクイックゆかたです。既におはしょりが着付けをした状態の形に縫われていて、羽織るだけで着丈がぴったりきまります。また着付けに必要な腰紐も衿先に縫い付けられているので、衿合わせを整え、右側の腰紐を左の身八ツ口から通し、両方の腰紐を後ろで交差させたら前で結びます。これでもうゆかたの着付けが完成です。

矢嶋:ゆかたをご自身で着られる方はわかると思うのですが、このようにとても綺麗に着られるのは彼女のサイズでつくっているからです。プレタのゆかたをクイック加工してもこの美しさは出せません。着丈だけではなく衣紋(えもん)も自然に抜けるよう計算されていますし、腰紐の位置はその人ごとの体形に合わせて調整するので、腰紐を結べばゆかたが自然と身体の曲線に合う。つまり簡単に着られるだけではなく、その人が最も美しくなるシルエットをつくりあげた、という点が今までとは全く異なります。もちろんこの加工は全て国内縫製です。

スタッフ:続きまして、同じく簡単に締められるよう加工されたクイック帯を着装します。
帯の内側がマジックテープベルトになっているので、これを身体に巻き付け固定します。あとは身体に沿わせて帯を巻き付けていき、最後に帯の端に付いているプラスチックの板を上から帯の中に挿しこめば完成です。

矢嶋:こちらも彼女のサイズで加工しているからピッタリ合うんですよ。ウエストは人それぞれ違いますから。今は説明をしながらでしたが、普通にやればゆかたと帯を合わせて5分で着られます。
さらにもう一つの特徴は、両方ともクイック加工前の状態に戻せる点です。自転車で言えば補助輪のようなもので、自分で着られるようになったら外せばいい。帯も、昔の加工のようにハサミで切ったりせず縫ってあるだけですから、いつでも直線の状態に戻すことができます。

矢嶋:こういった加工を展開する際に大事なのは、きものが本来持っている美しさを損なわないようにすることです。そのため弊社では二部式のきものは一切やっていません。それはきものの持っている美しさ、フォルム、着るという文化を損なうと思っているからで、それらのセオリーをきちんと護りながらも着やすくしたのがこのクイックゆかたです。昨年このクイックゆかたを展開して驚いたのは、ゆかたのマイサイズオーダーの半分がクイック加工付きになったことです。さらに興味深いのは、それを注文した方の半分以上がゆかたを自分で着られる人でした。着られないからではなく、着られるけれどもっと簡単にしたいから、と。考えてみれば料理も同じで、プレクック食品やレトルト食品を買うのは料理ができないから、とは限らないですよね。

ゆかた帯の変遷

では今度は、ゆかた帯の変遷を見ていきましょう。 まずその形状は、帯巾が4寸(約12cm)の半巾帯の単衣のものから始まり、次に袷の半巾帯、リバーシブル半巾帯となり、それらにしごき(兵児帯)を合わせるようになりました。そして今注目されているのは、一般的にはきものに合わせている、帯巾が8寸(約24㎝)の帯です。ゆかたに8寸帯を締めることで夏のきもの風に着る、というスタイルが確立されつつあります。

半巾帯 単衣

半巾帯 袷

半巾帯 リバーシブル

しごき(兵児帯)

8寸帯

次に帯の素材ですが、この10年間で合繊が96%→78%と減る一方、麻の比率が1%→18%と急上昇しています。合繊の帯は発色が良かったため圧倒的なシェアを占めたのですが、そこから綿麻、麻、絹の帯の比率が増えてきた。合繊よりも締め心地が良いのです。これもゆかたをより美しく、よりきものらしく着よう、という意志の表れなんですね。

進化しつづけるゆかた

先ほど少し触れましたが、素材の変化に加え、ゆかたと帯の新しいスタイルが誕生しています。1つはゆかたにミンサー帯を合わせるというものです。
ミンサーとは「綿(ミン)で織られた幅の狭(サー)い帯」を意味し、元々は石垣島などの種取祭や豊年祭に使われた、沖縄の民族的な祭祀の帯でした。 それを私どもはこの10年間、都会の若い女性へゆかたに合わせる帯としてご提案してきました。完全に手織りの、かつ天然染料100%による草木染めの帯です。
にもかかわらず素材が綿なので価格は3~4万円と、絹に比べたら遥かに安く手織りの帯としては破格の値段で提供できます。 私どもがミンサー帯のご提案を始めたのは、都会のコンクリートジャングルで仕事や日々のストレスを抱えながら暮らす都会の女性たちに、手織りの草木染めの帯に触れることで、 人間を、文化を取り返してほしいという想いからです。それが結果的に大ヒットし、ゆかた×ミンサー帯のスタイルが誕生しました。

もう一つはゆかた×博多紗献上帯というスタイルです。
素材は絹ですが、機械織機の化学染料染めのため価格は4~5万円と、手織りや天然染料の絹帯に比べれば価格がお手頃です。 この帯を綿や綿麻のゆかたに合わせることで、ゆかたのランクが上がって夏のきものとして着られるようになります。 こちらも私どもが15年前からご提案し多くの雑誌やメディアに取り上げていただいた結果、現在では夏きもの風のスタイルとして定着してきました。 博多紗献上はその名の通り将軍家に献上していた由緒正しき帯で、フォーマルに属しているとも言えます。そのような帯を使い、発想を変えるだけで新しいゆかたのスタイルがつくれる。 ゆかたがファッションであることの証明です。

例えば洋服でいうと、今では当たり前にデニムにブレザージャケットを合わせますが、昔だったらとんでもないことでした。 ブレザーはフォーマルな洋服に分類されます。一方デニムはワーキングウェアでしたので、この組み合わせはカジュアルとフォーマルのクロススタイリングと言えるのです。 洋服はファッションである以上こうして新たなスタイルがどんどん生まれてくるわけですが、きものの場合は今まであれもダメ、これもダメと言われてきました。 しかしそのルールはほとんど戦後につくられたものに過ぎません。もちろん正しいルールや着方はきちんと知らなければいけませんが、それを分かったうえで、ただ闇雲に破壊するのではなく現代に合わせてゆく。 そういう発想を持たないと、生活文化としてのきものは継承されません。

世界の民族衣装から見る生活文化において、きものが特別とされる理由はそこにあります。例えばきものは絞りや刺繍、手描きといった様々な技法を用い、衣服をあたかも絵画のキャンバスのようにしています。生活文化としてのアート性を秘めているきものが、博物館に保存されるだけではなく日常にファッションとして息づいていくためには、いろんな形の新しい提案が必要です。

その「新しい提案」の1つに、ゆかた素材の開発が挙げられます。昭和時代までゆかたはほとんど綿で、コーマ糸という細番手の糸を使っていました。しかし綿は細番手でしっかりと織れば織るほど肌にベタつきます。それを改善するため、今は生地に凹凸をつけてベタつきにくくする等、織り方の工夫がなされています。
次に綿麻、麻のゆかたをつくりました。例えば夏きものに分類される麻100%の小千谷縮は、仕立て上がりで7~8万円と、ゆかたよりは高いが絹のきものよりは安い。しかも自宅で手洗いできます。ゆかたもこの10年で123%と伸びていますが、麻の夏きものはなんと219%と大きな伸び率です。
さらに新合繊、機能素材が登場し、夏きものとの境がほとんど消滅しました。東レのセオアルファやシルジェリーといったアパレルでも使われている速乾性機能素材を使ったゆかたは、肌触りも涼やかでシワになりにくく、洗濯機で洗えます。また今後展開予定なのが、2種類の伸びるゆかたです。1つはポリウレタンを5%入れて伸縮性を良くしたもの、もう1つは綿麻で巾を最初から広く織りその後に縮ませることで伸縮性を確保するもの。曲線の人間の身体に直線のゆかたを結びつけるためシワができてしまうのを、伸縮性によってカバーできます。

ゆかたの色柄も時代に合わせて変化してきました。明治時代はドイツから輸入した定着性・堅牢度の高いバット染料を使った藍一色でしたが、大正から昭和にかけて藍に色挿しするようになります。

明治

大正

昭和

平成 エイトカラーゆかた

平成 エイトカラーゆかた

そして平成の時代に、今皆さんが当たり前だと思っているカラーゆかたが登場しました。その始まりが1990年に私どもが出したエイトカラーゆかたです。
当初業界からの評判は散々でした。「今度のやまとの社長はアパレル出身でまだ30代らしいが、きもののことは全くわかっていないよね」、「赤いゆかたなんて売れるわけがない」と。蓋を開けてみれば、最も売れたのは赤いゆかたでした。理由は明らかで、当時赤いゆかたは誰も持っていなかったからです。同時に、ゆかたがファッションであることが証明されました。ファッションとは、同一性の欲求と、同一性における差異性の訴求です。皆さんも花火大会に行くならゆかたを、海やプールだったら水着を着たいと思いますよね。でも皆と同じゆかたや水着では嫌で、周りより頭1つ分だけ抜きんでていたいと思う。それが同一性の中の差異性の訴求であり、ファッションなのです。

ゆかたの製法の変化

次は、ゆかたの製法の変化です。型染めは注染とスクリーンの2種類に分かれます。

1.注染

注染は生地の上に型を下ろし、防染糊を使って色を挿さない地の部分の防染を生地全体に施します。そして生地を重ね、柄に合わせて糊で防染の土手をつくり、その土手の中に染料を注ぎコンプレッサーで下から吸引することで、重なった生地の下まで染料を浸透させるという技法です。発色も非常に良く堅牢度も高いうえに、表裏なく鮮やかに染まります。

2.スクリーン

しかし注染の技法は大変手間がかかることから、新たにスクリーンによる型染めがつくられました。ステンレスの型に細かいメッシュの網をつくり、染めない箇所はナイロンで防染することでメッシュ部分だけが染まります。それを何度か繰り返し、1回ごとに色を染めていく。江戸時代の浮世絵の版画と同じ方法です。

3.ロールスクリーン

それから約4m幅のスクリーンを高さ5~6mのロールマシンでプリントしていく、機械染めのロールスクリーンが登場します。

4.インクジェット

大型のプリンターで、言うなればカラーコピー機です。

このように製法の変化が進んでいくと同時に、ゆかたの機能性の改善も急速に進みます。具体的には縮まない、色落ち・色褪せしない、乾きやすい、シワになりにくい、伸縮性がある、といった面で改善を進めてきました。私は今の時期の出張は機能性ポリエステルのゆかたを着ていくことが多いのですが、宿泊先でゆかたを洗っても空調機の前に吊るしておけば、翌朝には乾くうえにシワもほとんどありません。
これらの改善に伴って、確かにゆかたの値段も上がってきています。これは高いものを売りたいからではなく、機能性の良い素材である以上コストがかかるためです。10年前と比べると1万円以下のゆかたは65%しかなく、今一番売れている2~3万円のゆかたは166%と伸びています。3万円以上のものは麻や絞りのゆかた等で、10年前は点数自体が少なかったこともありますが、なんと770%にまで増加しています。先ほど話したポリエステルのゆかただと、だいたい3万円前後からそれ以上です。ただポリエステルなら全てが良いというわけではなく、最先端のものでないと意味がありません。安いものだと発色は良いけれども重たくて通気性が悪い。機能性を求めるならばハイブリットのポリエステル素材を使わなければならないため、相応して価格は上がります。

ここまでゆかたの歴史から始まり素材や技法の変化、機能性の改善の流れを追ってきました。ゆかたは自動車や家庭電化製品、スマートフォンと同じようにどんどん進化していて、しかもそれが非常に速いスピードで消費者に受け入れられているのです。
これまで、ゆかたの成り立ちとその歴史について論じてきました。次は、テーマを「ゆかたから学ぶ 着る文化論」に移します。

ここまでゆかたの歴史から始まり素材や技法の変化、機能性の改善の流れを追ってきました。ゆかたは自動車や家庭電化製品、スマートフォンと同じようにどんどん進化していて、しかもそれが非常に速いスピードで消費者に受け入れられているのです。

ゆかたから学ぶ 着る文化論

洋服ときもの 着方の違い

そもそも洋服と和服は同じ服ですがその「着る」は全く異なるもので、洋服はTシャツやセーター、トレーナー、ジーンズからわかるように、「かぶる」と「履く」に分かれる二部式がほとんどです。 また、着る前から洋服自体にカタチができています。TシャツはTシャツでしかないし、ジーンズはジーンズでしかない。ジーンズをTシャツのようには着られません。 ジャケットも、シングルボタンのものをダブルボタンのように着ようと思ってもできないですよね。

一方和服は「羽織る」・「巻く」・「結ぶ」、が1つになった一部式です。そのうえ、洋服のようにカタチがありません。洋服のボタンやファスナーは誰が留めても同じ結果になるよう、ボタンとボタンホールは位置が固定されていますし、 ファスナーも1ミリずれてしまっただけで噛んでしまうでしょう。それに対してきものは、その時の気分で着方が変化します。

今日私が着ているのは弊社ブランド DOUBLE MAISON の新作で、綿85%・麻15%のゆかたです。衿のV字を比較的狭く着付け、羽織を着ることできもの風に見せているのですが、明日もまた同じ着方をすることはできません。 おそらく今日と明日では、背中心が何ミリかずれるでしょう。帯にしても私は背中に回して手の感覚だけで結んでいますから、全く同じ形にはなりません。 着方がその時々で違う、それがきものの要求する「着るという意志」なのです。

また、直線裁ち・直線縫い・平面仕立てのきものは、ヒトが中に入って着ることで初めてカタチがつくれます。 巻き付けたきものを帯で自由に結ぶという行為はファッションの創造そのもので、モノではなく着るヒトが主体であり、ヒトが最も主体的なカタチをつくる服、というのがきものの最大の特徴です。 そのため、気持ちが充実しないときものは上手く着られません。Tシャツとジーンズは、寝ぼけていようと二日酔いだろうと着られますが、きものはそうはいかない。 前合わせが決まらなかったり、女性であればおはしょりがぼこぼこになってしまったり、何とか着られても途中で着崩れたりしてしまいます。

今は絶版となっていますが、「ベトナムに平和を!市民連合」を組織した1人である社会思想家の寺井美奈子氏が1960年代に書いた「ひとつの日本文化論」で、 「直線のきものを曲線だらけの身体にあわせて着るという二律背反が生む美」、「直線を曲線の方に引き寄せるのが着こなし」、 「ひとりひとりの人間が無意識とはいえ、前を合わせて腰で紐を結ぶことで、個体に密着してきものを<着る>ことから<型をつくる>という文化を生み出す」、と語られています。 私が今まで読んだきものの本の中でその思想性の高さに衝撃を受けた本の1つなのですが、 着用者自身が手を加えなければ着ることができない、というきものの着方こそ、日本人の心と文化を生み出す根源であり「着る」ということの文化性を示唆しています。

衣食住という言葉がありますが、「着る(衣)」は人間にだけ帰属しています。 食と住は動物や虫、魚といった人間以外の生物も営んでいますが、服を着ているのは人間だけでしょう。ペットが洋服を着ているのは彼らの意志ではなく飼い主の人間によるものです。 和・洋に関わらず、服を着るということは本来とても文化性を持ったものなのですが、Tシャツやジーンズのようにあまりにも文明的に、便利になってしまったがために、着るということの文化性が忘れられ、インスタントになってしまいました。 料理で例えると、カップラーメンは誰がつくっても同じ味になりますよね。誰それがつくったら美味しいということはなく、100℃のお湯を入れて3分待てばみな同じ味ができあがる「文明」です。 しかし手料理は、味噌汁ひとつとってもつくる人によって味が違う。つまり、人によって結果が異なる「文化」なのです。

確かに文化には面倒な一面もあります。しかし人間は元々面倒なものなのです。皆さんの中に、今まで病気も怪我もしたことが無い人は誰一人としていないでしょう。 人間の身体は取り替えがきかないですから、このボールペンのように壊れたら捨てればいいというわけにはいかない。人間の身体は壊れても治しながら使っていくように、文化的にできているのです。 私は文明を否定しているわけではありません。しかし文明だけだと何かが欠落して心や身体のバランスが壊れてしまいます。 インスタントな料理ばかりだと、手料理を食べたくなりますよね。 それと同じことで、何も考えずに着られる Tシャツやジーンズも良いですが、たまには「着る」を意識しないと着られないゆかたやきものを着てみることで、人間の持っている本来の文化的な面倒さを思い出す。 そういった機会が必要なのではないでしょうか。

最新ゆかたトレンド事情

では最後に、最新のゆかたトレンド事情をお伝えいたします。各ブランドの MD に、今年のゆかたのトップ予想をしてもらいました。

きものやまとRyo -涼- 和色朝顔
¥29,900(税抜)

KIMONO by NADESHIKO桜花ストライプベージュ
¥29,900(税抜)

やまとは水色×黄色の朝顔柄で、KIMONO by NADESHIKO はストライプの桜花。 特筆すべきは両ブランドともポリエステル100%のゆかたという点で、昨年も最終的に一番売れたのはポリエステル100%だったのですが、予測の段階でトップに挙がるのは今年が初めてです。

DOUBLE MAISON午後三時、花をそそいだら・黄
¥29,900(税抜)

DOUBLE MAISON は綿75%・麻25%の黄色のゆかたで、アンティークのピッチャーを傾けると花がこぼれ落ちて花瓶に注がれる、という柄です。ブランドディレクターの大森伃佑子氏ならではの、19歳の少女の発想ですね。

THE YARD遠州 手しぼ縞 甕覗
¥43,000(税抜)

THE YARD は綿70%・麻30%の遠州手しぼゆかたで、日本古来の色名をヒントに経糸と緯糸の組み合わせを選び、甕覗(かめのぞき)という色を表現しています。 特徴的なシボの加工は滋賀県の近江で行われており、このシボにより衣類と肌との接触面が少なくなり、風通しが良く爽やかな着心地となります。

Y. & SONSStripe/Black(With tailoring)
¥39,000(税抜)

Y. & SONSは綿100%の黒ストライプで、生地にはドライコットツイストという機能糸を使用しています。 この5ブランドだけでも素材は様々で、それだけゆかたが多様化しファッションになったということです。

ゆかた(左)ときもの風のコーディネート(右)

ゆかたときもの風のコーディネートを比較してみると、最も売れている価格帯のゆかた、帯、下駄でトータル27,700円になります。 そこに羽織や半衿、帯締、足袋をプラスすると、金額は49,600円に上がりますが、シルエットが変わってぐっときものらしくなりますよね。 ゆかたからきもの風の着こなしへの変化は、昨今確実に増えてきています。

自由になるゆかた、きもの

本日の内容をまとめると、200年前は風呂上がりの浴衣であったものが、150年前から寝巻になり、100年前から部屋着に、そしてこの30年で花火着として外に着られるようになった。 今の若い人にとっては最初からゆかたは花火着という認識ですが、ゆかたはこのような歴史を辿り、ファッションだからこそ時々の社会環境に合わせて変わってきたのです。 同時に200年間で色柄や素材、機能性が進化し、絶え間ないイノベーションの結果、今ではゆかたはファッションとして確立しました。

これはゆかたに限らずきものにも言えることで、今皆さんがきもののルールだと思っているものは、せいぜい100年の歴史しかありません。 ほとんどのものが戦後にできたルールですから、それは今後もどんどん変わる可能性があります。ファッションである以上固定的に考える必要はない、という証明をゆかたがしてくれました。

質疑応答

質問:DOUBLE MAISON のゆかたがとても可愛くて着てみたいと思うのですが、着ていく場所が花火大会やお祭りくらいしか思いつきません。 もっと着る機会が増えたらいいなと思うのですが、そういった場面は何かありますか。

矢嶋:皆さんは特別な日にゆかたやきものを着る、と思っていますよね。でもそれは違うのではないですか。 私はこう考えます。花火大会やお祭りの日に限らず、ゆかたやきものを着ることによって、普通の日を特別な日にできるのです。それがファッションの力でしょう。 ですから、どういう時にきものを着ていいのか、と悩む必要はありません。 ポピュラーなお出かけ先と言えば花火大会やビアガーデン、屋形船等が挙げられますが、 例えばお気に入りのカフェに行くといった何でもないお出かけにきものを着てみたり、神楽坂のようなきものの似合う街を散策してみたり、神社へのお参りもいいですね。 私の娘は大学生の時にゆかたで野球応援に行っていました。同じ場所に行くにしても、洋服と和服とでは見える景色や非日常性が変わります。 それはきものやゆかたを着ている皆さんに注がれる視線が普段と異なるからです。 特別な日にきものを着るのではなく、きものを着ることで普通の日を特別にしてください。