ゆかたから始まるきものライフ
本日は、「ゆかたの始まりと今」についてお話ししたいと思います。結論から言えば、「ゆかたはきものだ」ということです。ゆかたは元々お風呂の中で着ていたものなんです。江戸時代前期の銭湯は混浴で、石榴口(ざくろぐち)と呼ばれる入口を通れば男女が一緒になる構造でした。
それが風俗上まずいとされ、お風呂の中で女性、特に若い女子がゆかたを着て男子の目線を遮るようになったんです。江戸の後期からはさらに規制が厳しくなり、お風呂が男女別々になります。そして風呂屋の二階が社交場となり、ごく簡単な社交着として浴後にゆかたを着るようになりました。
愛媛の道後温泉では古い温泉場の上が畳敷きの広間になっていて、そこでお茶を飲んだりお団子を食べたりするんですが、それは江戸の名残ですね。
ゆかた柄の変還
明治になるとゆかたを寝巻に着るようになります。明治のゆかたは、バット染料というドイツから輸入された藍に代わる化学染料で一色染めをしています。大正になるとそこに他の色を挿して少し深みが出てきて、昭和には化学染料によりこのような明るい色が出てきました。平成になると、きものとほとんど同じ柄行になっています。
このようにゆかたは変化してきたわけですが、私のゆかたの定義は「夏に着る綿の単衣のきもの = 夏の外出着」です。今ではゆかたを家で着る人はそんなにいませんし、お風呂上りに着る風習も旅館以外ではありません。昔との大きな違いは、ゆかたが花火大会や納涼船といったイベントでの外出着に変わってきている、という点です。
1990年に初めてやまとがエイトカラーゆかたを出した時、「ゆかたは寝巻で人前で着るものじゃない」と、東京の有名なホテルのほとんどがゆかたでの入館は許してもらえませんでした。それがたったの30年前ですが、今はそんなホテルはありません。
素材も綿から綿紅梅へ、綿麻から綿麻紅梅へ、そして新合繊へと大きく変化しました。紅梅とは縦と横で太さの違う糸を使うことで凸凹をつくる織り方で、そうすると表面変化が出ると同時にそこに風が通り、生地が肌にべったりくっつくかずに涼しいんです。
今は東レのセオαやテイジンのエアロカプセルなどの新合繊の機能素材でできたゆかたもつくられています。
今日私が着ているのはDOUBLE MAISON というブランドのレディースゆかたをメンズに仕立てたものです。素材は綿麻ですから、普通のゆかたに比べるときものに近い。柄行も非常にクラシックですが、実はインクジェット染めです。併せてこの近江麻の羽織を着ると、きものの様に見えますよね。
このようにゆかたときものの境がどんどん無くなっているんです。
続いて色の変化です。
先ほど話しましたが、江戸時代は藍だけだったのが江戸の末期から明治の初期にかけてドイツのバット染料が輸入され、化学染料でとても安く染められるようになりました。一方天然染料は凄く良い色を出すんですが、養生がとても難しい。藍は26~28°Cで常温発酵を保たないと死んでしまいますし、毎日アルカリのpHを維持するためにお酒を注いだり、灰を入れたりしなければなりません。
また天然染料は、日光に当たると退色してしまう可能性があります。対して化学染料は退色しないのでどんどん使用されましたが、最大の欠点は皆同じ色になってしまうことです。天然染料で染めたものは経年変化による味が生まれますが、化学染料で染めたものは良くも悪くも変わりません。
そして、1990年にやまとが出した「エイトカラーゆかた」によって、カラーゆかたが本格的にスタートします。
当時私は社長になって1年目だったのですが、「今度のやまとの社長はアパレルあがりでまだ30代らしいけど、大丈夫だろうか」、「赤いゆかたなんて売れるわけがない」と散々に言われたんです。
しかし一番売れたのは赤いゆかたでした。理由は明らかで、当時赤いゆかたは誰も持っていなかったからです。
ファッションとは、同一性と、同一性の中の区別性と言えます。皆と同じものを着ていたい、でも皆より自分の方がちょっと良くありたいという願望です。ゆかたは着たいけど皆と同じ藍は嫌だ、という人が赤やピンク、黄色のゆかたを着るようになったのが、今からわずか30年前のことです。
染めの技法も変わってきていて、始まりは注染という、反物を何枚も重ねた上に防染の糊で土手をつくり、その中に色を注いで下から抜いていく方法でした。何枚も重なった反物に全部同じ柄が染み通っていくのです。次のスクリーン捺染は型染めとは違い、スクリーンで型をつくってハケやエアーコンプレッサーで染めていく。ロール捺染はロールスクリーンという大きな機械で、ロールを使って柄をインクで転写します。最後がインクジェットといって、完全にデジタルプリント(印刷)です。
このように色も染めも50年、もっと言えばこの30年で急速に進歩しました。
続いて帯の変遷を見ていきましょう。
学生さんがスタイリングされたトルソーがとても参考になりました。真ん中は博多献上帯で、両側は帯というよりも布を巻いているだけ。しかし実はこの布の巻き付けが帯の原型で、今の帯の形はせいぜい100年前にできたものなのです。 皆さんが知っている袋帯や名古屋帯も大正半ばくらいにできたもので、歴史でいうと100年ほどしかない。だからその帯の歴史を超えて、両側のようなゆかたの帯があって当然なんですよ。
帯の始まりは、きものの前がはだけないように留める伊達締めのような機能布です。今は帯の下に締めるものですが、昔は帯の概念がなく腰紐より幅の広い伊達締めを留めるだけでよかった。それが四寸帯という約12㎝の幅の帯になりました。今の半巾帯ですね。次に八寸帯といって四寸帯の倍の約24㎝幅のものが出てきます。こうして徐々に今の帯の形になっていきました。
戦後からゆかたにポリエステルの半巾帯を合わせるのが流行し、今では八寸帯を合わせることでよりお洒落に、きものらしく着て楽しむ方も増えています。
他にも、ゆかたの下に襦袢を着て半衿をつけたり、帯締や帯留をしたりするときもの風に着られますね。下駄に素足ではなく白い足袋を履くと、着姿が上品になります。さらに薄手の羽織を重ねたら立派なきものの装いです。博多紗献上帯やミンサー帯など、産地の帯を合わせるのも楽しいです。
ここまでが江戸時代から現在までの約150年間の、ゆかたの着方や素材、色、染の技法、帯の変化のお話でした。
続いてのテーマは文化です。
きものを着ることを私は「着る文化」と呼んでいます。なぜきものを着ることが文化なのでしょうか。それは洋服と和服には「着るの違い」があるからです。たとえば皆さんが着ているTシャツやセーターの基本は「かぶる」。一方きものは「はおる」「まきつける」「むすぶ」。ブラウスはボタンで、スカートもフックやファスナーで留めているだけでしょう。しかしきものは、「はおる」ことによって平面だった布にカタチがつくられるのです。
今日着ているゆかたですが、長襦袢を着て衿元のV字を比較的狭くすることで、フォーマルっぽく着ています。
また5,000円札の樋口一葉の衿元を見てみてください。彼女は柄が見えるよう半衿を大きく出しているんですね。こういう着方もあっていいんです。
今このゆかたを脱いでもう一回着たら、衿元や上前・下前の合わせ方が1~2㎝ずれるでしょう。私という同じ人でも絶対に違う着方になるように、きものは着る人・着るたびにカタチが全く違ってきます。けれど洋服は、誰がボタンやファスナーを留めても同じカタチになる。スカートをパンツとしては履けないし、同じパンツでもサブリナパンツをショートパンツのようには履けない。だから洋服は型(フォルム)そのものが無限にあるわけです。対してきものは、男物・女物の2つの型(フォルム)しかありません。さらにその差もおはしょりや身八ツ口の有無などわずかばかり。だけれども「着た結果」(スタイル)は無限に違う。
それが洋服と和服の根本的な違いです。きものというモノが主体ではなく、着る人が主体的にスタイルをつくるのがきものの最大の特徴なのです。
Tシャツやジーンズは身体の調子が悪くても眠くても何とか着られますが、きものはその状態では絶対にうまく着られません。気持ちが充実していないといけない。面倒ではあるけれどもきものならではの特性です。しかしそれは「着るのが難しい」という、きものの最大の欠点でもあります。
そこで今年やまとは新しいきものを開発しました。皆さん自転車に乗れると思いますが、最初はきっと補助輪を付けて練習しましたよね。これはきものに補助輪を付けた「クイックきもの」という商品です。今日はゆかたで用意しましたが、実演する弊社社員のサイズに仕立ててあります。そこに補助輪としておはしょりを予め縫い留めて、腰紐を付けました。マイサイズに仕立ててある、というのが特徴で、プレタではクイック加工をしてもうまく着付けができません。
おはしょりもちゃんと決まっていて、普通に着付けたように見えるでしょう。さらにポイントは、このクイック仕立ては糸で縫い付けているだけなので、それを外せばいつでも元の、普通のゆかたに戻せることです。外す加工も承っているので、完全に元通りの状態でお返しします。補助輪を外すのと一緒で、自分で着付けられるようになったら元に戻せばいいんです。
では次にワンタッチ加工をした帯をご紹介します。
このメッシュベルトも背中のリボン結びも縫って形をつくっているだけなので、糸を取れば一本の帯に戻ります。結び目と巻く部分が分かれている二部式の帯はハサミで切って加工しますが、こちらは一ヶ所もハサミを入れていません。メッシュベルトを前で留め、帯を巻き付け、帯端のプレートを中にしまい込めば完成です。
ゆかたと帯を着付けるのに5分もかかっていません。
このクイックゆかたを今年の4月に出してから何千人ものお客様にご利用いただいており、ゆかたを購入された方の約50%がこのクイック加工を選ばれます。同時に、ゆかたを着られる人からの注文も多いことがわかりました。
「自分でも着られるけど面倒だしクイックゆかたなら早いし楽」なんだそうです。逆に、着付けができなくても「自分で着られるようになりたいから補助輪は要らない」とクイック加工をされないお客様もいます。これは嬉しい誤算でした。どちらが悪いとかではなく、両方の選択があっていいんです。補助輪付きで上手くなろうという方と、最初から自力で頑張る方と。
やまとではワンコイン(500円)1時間で着付けレッスンをやっているのですが、ゆかたなら1回のレッスンで着られるようになるのを目標にしています。それでクイックゆかたに頼らず頑張って通ってくださる方が多いんです。クイックゆかたと着付けレッスン、選択肢を選べるようになったのはとても重要だと思います。
左のデータは少し古いんですが、平成21年の経済産業省近畿経済産業局による「今後きものを買いたいと思うか(ゆかたを除く)」というアンケートの調査結果です。驚くべきは20代の32%が「買いたい」と答えている点です。
当時このデータを基に講演をしていたら、ある自動車メーカーのトップから「話を聞きたい」と声をかけられました。当時、若者が車に乗らないという状況に悩んでいて、そのメーカーでとったアンケートでは「20代の32%が車を買いたいと思う」なんて結果は出なかったらしいのです。そこで「どうやってきもの業界はマーケティングをしたのか」と尋ねてきたので、私は「過大評価であり誤解です、きもの業界は何も努力していません。日本の女性がきものを買いたいという潜在ニーズを持っているんです」と答えました。
その証拠に、20代の3人に1人が「いつかはきものを着たい」と思っているのに現状その3%もきものを着ていないというギャップが発生しています。これはきもの屋が今までフォーマルで高額、そして着るのが難しいきものばかり売ってきたからです。
右の図は2015年5月の経済産業省繊維課による着用経験別の「今後の着用意向」、つまりは「着たいと思うか」というアンケート調査結果です。この問いに対して20代は着用経験者の80%が、着用未経験者も44%と半分近くが「着たい」と答えています。着用経験は主に振袖かゆかたでしょう。50代の数値と比べると20代女性のきものへの関心がどれほど高いかが伺えます。
では、今日まできものライフはどのように変わってきたのでしょうか。1957年に今の天皇皇后両陛下がご結婚されて、婚礼のきものブームが日本中に巻き起こりました。次いで1970年前後にいわゆる団塊の世代が成人式を迎え、振袖が売れるようになります。そうすると婚礼きものと振袖ブームとが重なって、フォーマルばかり売れるようになったのです。振袖や留袖、喪服といったフォーマルきものは型やルールが決まっているため、売りやすい。それに当時、結婚式は家族の大事な行事として一年前から準備しました。成人式の振袖も同じ理由で家族的需要ゆえに高いものが売れるんです。それがフォーマルきものブームで、業界のピークでした。
私はやまとの社長になる前、婦人服と子ども服の会社を経営していました。
そして1988年に社長となった時、「これはおかしい」と思ったんですね。フォーマル需要に特化した一発型の成功ではないか、本当はきものはもっと自由に、気楽に着ていいんじゃないか。そう思い、社内で「きものファッション化」を掲げました。その最初の施策が「エイトカラーゆかた」です。
次に2000年から始めたのが「きものカジュアル化」で、洗えるきもの、ポリエステルのきものを出しました。これも社内では「きものは絹でなければいけない」と抵抗する人たちがたくさんいました。絹のきものは確かに良いのですが大きな欠点がある。ひとつは高いこと、もうひとつは自宅で洗えないことです。ポリエステルのきものはそのどちらも解決してくれるのです。
そして現在進行形で進めているのが「きものアパレル化」で、きものをもっと洋服のように日常に着られるようにしようとしています。
最近の洋服はしわがつきにくくなってきましたが、きものはまだそこまで辿りつけていません。それから雨にも弱い。
今日は雨ですから予備にもう一足足袋を持ってきていて、雨があんまり酷かったら履き替えようと思っていました。だけど洋服だったら雨が降っているからといって予備の靴下を持ち歩く人はいないでしょう。そういう所がまだまだきものはダメで、それを変えようというのがアパレル化です。
きものは元々着るものだったのに、お祝いの道具に変わっていってしまった。それをもう一度着るものにしよう、だから値段もどんどん下げよう、もっと簡単に着られるようにしようと取り組んでいます。
そして私が行き着いたのが、「きものの森」という考え方です。
素材には絹だけではなくウールや綿、麻、合繊もある。ジャンルもフォーマルだけではなくカジュアル、またその間にソシアルというフォーマル未満カジュアル以上のきものもあります。洋服でいうブレザーですね。それから新品だけではなくリサイクルきものだって当然あっていい。
レンタルきものやお下がり、お母さんの振袖を着るママ振袖なんてとても素敵な文化じゃないですか。これらが全部あっていいのに、高度経済成長時代のきもの屋は、高い新品の絹のきものをフォーマルに限定して売っていった。それはそれで一つの成功パターンでしょう。しかしこの方法だけやっていたらこの業界は確実にダメになる、と思ったんです。
そこで「きものの森」構想を掲げ、30年かけて豊かなきものの森を創ろうと様々な改革をしてきました。
それではここから質疑応答をお受けします。
質疑応答
学生A:きものでもゆかたでも、着こなしに決まりはないのでしょうか
矢嶋:洋服でもそうですが、ドレスアップとドレスダウンがあります。スーツとドレスシャツをきちっと着てタイを締めて、靴もちゃんと磨かれたものを履くというドレスアップもかっこいいですし、逆にダメージデニムに麻のシャツを着て、というドレスダウンの着方もいいですよね。その両方があるのが文化なんです。
きものでもフォーマルな着方はちゃんとあります。結婚式や神前行事などの時には確かにフォーマルな着方をしなければいけません。
でもフォーマルじゃない時までフォーマルの着方をするのは、休みの日にスーツにネクタイ、革靴を履いて映画を見に行くようなもので、おかしいですよね。きものにも洋服と同じようにフォーマルとカジュアルのどちらもあるということです。
ただ、まずはきものの基本的な「型」を覚えてください。亡くなった歌舞伎役者の中村勘三郎さんも「型を覚えるから型破りができる」とよく言っていましたが、型を分かって初めてアレンジという型破りができます。私は今日はとてもノーマルな着こなしをしていますが、ウールのきものの下にピンタックのシャツを着てボウタイをつけ、羽織はべロアのレース、革の帯にブーツを履くという和洋をクロスさせたスタイルもします。そういう着方があってもいいんです。ただし型がわからないで最初から無茶苦茶な着方をしてしまうと、それはただの「型無し」です。
まず型を覚えて、それから洋服と同じように型をどうアレンジして幅を広げるか。最初から型を無視してはいけませんが、型にこだわりすぎる必要はありません。
矢嶋:洋服ほどではありませんが、トレンドはゆるくあります。ですが私どもは「今年はこれがやりたい!」というのが先ですね。
たとえば今年の DOUBLE MAISON の新作ゆかたは「江戸」をテーマにつくりました。モチーフには葛飾北斎や伊藤若冲が使われています。ですが別に今年のゆかたのトレンドが江戸である、なんてことはありません。 DOUBLE MAISON が江戸を取り上げたかっただけです。私たちは流行を追うというよりも、何をやりたいか、自分たちがどうクリエイションするかを考えています。
矢嶋:たとえば去年の新作の洗えるきもので一番ヒットしたのは、金子みすゞという詩人をイメージしてつくった「郵便局の椿」という商品でした。もちろん金子みすゞや椿のきものが売れていたわけでもなし、「郵便局の椿」という特定のデザインが売れたんです。 また、去年着たゆかたが今年はもう流行じゃないから着られないとか、そういったことはありません。特に絹のきものや振袖はそうですね。洋服だったら「それ何年前に流行ったよね」とすぐわかってしまうじゃないですか。その意味ではきものは長く着られる服だと思います。
では最後に本日のまとめとなりますが、ゆかたは立派なきものである、ということを申し上げたいのです。繰り返しますが、きものの歴史は和服という名称がついてからはたかだか150年、今の帯のルールも100年前のもの、フォーマルきもののルールに至っては50年前のものです。しかし先ほどグラフでお見せしたように、このわずか15年できものは劇的に変わってきました。古来きものは自由なものであったのが、この50年間フォーマルという枠に極度にはめられていた。フォーマルを否定するわけではなくフォーマルしか無いのではない、ということです。
ものは確かに歴史と伝統があるんですが、それに甘えて革新を怠ってきました。何を護ることが伝統なのかと考えた時、護るべきは伝統技術ではないと思います。私が今着ているゆかたはインクジェット製品だと紹介しましたが、インクジェットが邪道なわけではなくこのような技術革新は重要な進歩です。しかし片方で手織り・手染めも大事にしなければなりません。技術革新だけをずっと追っていけば、手織りの技術は失われてしまいます。
一方、素材も絹でなければいけないなどと言っていては新しい商品はつくれません。技術も変えていい、素材も変えていい。何を変えてはいけないか、それはきものを着るという文化です。私どもの会社では、二部式や短い丈のきものは襦袢を除いては一切つくっていません。それはきもののフォルムに洋服とは違う、上から下、手先までをきものという布で覆うことによって初めて出てくる美しさがあり、洋服の「かぶる」に対して「はおる」「むすぶ」「まく」という自分の意志で「着る」を創り上げてゆく、きものの「着る文化」を護っていきたいからです。護るべき文化は何かを考えたうえで素材や技術はどんどん革新し、それによって逆に古いものが護られていくこともあります。
ゆかたからきものライフが始まって、次に綿あるいは合繊のきものにいって、絹のきものにステップアップする人が増えていく。ゆるいピラミッド型、美しい富士山型のたおやかな市場ができていくための入口であり、きものの裾野広げてくれるのが、ゆかたというとてもおしゃれな夏のきものなのです。