職人が語る、大島紬の奥深い世界

きもの好きなら誰もが憧れる、大島紬。ほぼすべての工程が手作業でなされ、世界一精緻な織物は完成します。そんな大島紬の奥深い世界を、本場大島紬織元・仙太織物社長 仙太史博氏にお話しいただきました。(本文は2014年11月に早稲田大学で行われた講義を逐語訳、再編したものです。)

本場大島紬の織元の仙太と申します。ご縁をいただき壇上に立たせていただいておりますが、私は学者でも研究者でもありませんので、あくまで大島紬を扱う立場の作り手として、経験に基づいた話をしたいと思います。皆様は今、大島紬には縁遠いと思いますが、いつかその素晴らしさを分かってもらえたら嬉しいです。

日本ではきものを明治になるまで日常的に着ていましたが、その布は各地域で織物として作られていました。きものは、製法から「染め」と「織」、ドレスコードから「フォーマル」と「カジュアル」に分けられますが、大島紬は「織」の「カジュアル」のきものに分類される普段着です。これに対して、振袖や結婚式で着る留袖があり、これらはいずれも「染め」の「フォーマル」きものです。大島紬は普段着としてカジュアルに着るものですから、自分の日常に潤いを与えるためのものであると私は思っています。

大島紬とは

作業をする仙太史博さん

大島紬の「大島」は土地の名前から来ています。関東で言えば伊豆大島が頭に浮かびますが、鹿児島県の屋久島よりさらに南にある南西諸島の奄美大島のことです。鹿児島から船で行くと丸半日かかります。大島紬は現在、この奄美大島を含む南西諸島と鹿児島で作られています。
染めのきものでは、白生地の上に直接染料で手描きをしたり、型紙を使用したりして柄を表現しますが、大島紬のような織のきものでは、まず糸を染め、それを経糸・緯糸として織り上げることにより柄を完成させます。

先に糸を染めてから織るため、織のきもののことを先染(さきぞめ)のきものとも言うんです。織のきものの柄の付け方として代表的な「絣(かすり)」がありますが、これは図案に従って一本の糸を染める部分と染めない部分を分けて染め、それを図案通りの柄になるように織っていくものです。例えば白いハンカチの絞り染めを思い浮かべていただくと分かりやすいかもしれませんね。糸や輪ゴム等で縛ってから染料に浸け、後で糸や輪ゴムを除くと白い部分で柄ができるというものです。これが基本的な絣の原理です。

極端な話ですが、大島紬は20代から80代まで同じものが着られます。技法も代表的な柄も長い伝統のあるものですから流行り廃りがありませんし、コーディネートの帯や小物を変えるだけで年代に合った装いができます。また、きものですからよほど体型が変わらない限り着続けることができるのです。
皆様のお婆さまやお爺さまの大島紬が箪笥の中にあるかも知れません。多少の寸法違いであればそのまま着られますし、きものは仕立て直しも出来るので、実際に着ていただければ、驚くほどの軽さやしなやかな肌触りなど、その着やすさもお分かりいただけると思います。

大島紬の製造工程

大島紬には大まかな工程が16あり、細かい工程も合わせると48あります。
①企画・プランニング
②デザイン原画

デザイン図案

③絣設計図案
④整経
⑤糊張り
⑥絣締め

絣締め

⑦染色

染織(泥染)

⑧絣部分解き

絣部分解き

⑨すり込染
⑩絣全解
⑪番組
⑫仕上げ糊張り
⑬絣疋分け
⑭絣板巻き

絣板巻き

⑮織り
⑯製品検査

製品検査

これだけの多くの工程を経て、「世界一精緻な織物」と言われる大島紬が完成します。すべての工程はそれぞれ熟練した職人たちの技による分業でなされており、一工程でもミスが出れば完成品はできません。チームワークと信頼が非常に重要なのです。

また、最初の図案段階の織物設計図の製作と糸巻に使う機械以の外全ての工程が、手仕事で行われています。絣の細かい物を織り上げることは、人間の手だから出来ることであって、そこまで出来る機械はありません。また、使用している絹糸が天然素材ですから、温度や湿度の変化による微妙な取り扱いの調整は機械では判断できず、職人の経験に頼るしかありません。人間の能力に勝る機械はないのです。

大島紬の種類

大島紬は、代表的な泥染以外にも色々な種類があります。泥染めと藍染めを併用した泥藍大島紬や、藍だけで糸染めした藍大島紬、白泥という鹿児島の薩摩焼を作る白い泥で染めた白大島紬というものもあります。この他植物染料にもたくさんの種類があり、ウコンや屋久杉等で糸染めしたものも有名です。また、私の家系は奄美大島より南の徳之島出身で、そこの赤土で染めると薄ピンクの色が出るので時々使っていますね。このように地元の材料を染めに利用することも多いです。
大島紬の柄には、伝統模様である亀の甲羅をデザインした亀甲柄等があります。男物の柄に多いのですが、「鶴は千年、亀は万年」というように長寿を願うおめでたい柄なんです。同じく男性用の柄として西郷隆盛からきた「西郷」という柄もあります。これは西郷隆盛が一時奄美大島に島流しにされていたことに由来しており、男らしい柄として採用されています。また、有名な柄に「秋名バラ」というものがありますが、これは奄美大島にある秋名という村で作られる竹カゴがモチーフになっていて、網目のことを方言でバラと言うのでこの名前がついています。

西郷柄

秋名バラ

女性物では白泥の大島紬が人気です。これはTV番組で女優の南野陽子さんに着ていただいたものです。白地ですので、赤い帯や黒い帯等、どのような色の帯でも合わせやすく、気分によって色んなコーディネートが楽しめますよね

同じく当社の仙太郎ブランドの大島紬の中でも、非常に絣が緻密な超極細絣の商品があります。絣の緻密度は「マルキ」と呼称し、数が増えるほど細かくなります。通常は5マルキや7マルキが一般的ですが、さらに細かい9マルキ、12マルキといったものもあり、絣糸の製作や実際の製織にはベテラン職人の細心の注意が必要です。特に12マルキの場合は経糸の本数が経絣糸485本、経地糸1,086本の合計1,541本使用しますので、より細い絹糸を使用しなければなりません。

白大島紬(南野陽子さん着用柄)

12マルキ大島紬

奄美大島では成人式にも大島紬を着ていますが、基本的には街着ですので、冠婚葬祭以外の日常着として好きな時に着られるきものです。フォーマルのきものは結婚式だから留袖、成人式に振袖、葬式に喪服といったように、理由があるから着るものですよね。しかしカジュアルの大島紬は普段の日常において、自分がおしゃれを楽しむために、潤いのあるくらしを求めて着るものですから、着るためのルールはないのです。結婚式に堂々と大島紬を着て行かれる方もいるんですよ。

美しさということ

美しさには2種類あると私は思っています。海や山のような自然の美しさと、人間が作り出した人工的な美しさです。大島紬は人間が作ったもので非常に精緻な美しさがあると思うのですが、その大島紬を我々が身につけた時、きものが美しいだけではなく、その人に似合っているかどうかも重要ですよね。
これは人工的な大島紬と、元々天然である人間が融合したときに起きる化学変化だと考えています。大島紬も様々な色や柄がありますが、着る人の肌の色や体型も千差万別ですので、うまく融合することが「似合う」という美しさに繋がるのだと思います。

きものだけではなく、美しさを常に意識して加味することにより、素晴らしいものが生まれてくると思います。例えばiPhoneを発明したスティーブ・ジョブズは、機能だけではなく外観の美しさや内蔵されている部品配列の美しさにもこだわっていたそうです。皆様もこの先色々な局面で、美しさを意識し加味するようにすると、人生により良い効果をもたらす化学薬品になるのではと思います。
日本には俳句や和歌がありますが、まず伝えたい意味内容があり、伝える時に美しさといった薬品を加えることで、相手に感動をもって伝えられるという化学変化が生まれますよね。

私も大学を出て、途中に色々あって今きものの仕事をしているのですが、きものというのはこの美しさを感じる心に支えられている産業ですから、根本はこの美しさが理由でこの世界に入ったんです。
大島紬の生産工程に携わる方は年々高齢化し、生産点数もかなり減少していて作る側の状況は変化しておりますが、変わらないものは絣の美しさであり、それを感じていただけるお客様の心です。これは今後も変わらない不動のものだと思っています。

いつかは大島紬を

きものは皆様にとって馴染みがなく、遠い存在に感じている方が大半だと思いますが、これをきっかけに、日常にきものを着る機会を少しずつでも作っていただければと思います。
特にカジュアルの大島紬を着るとなんだか気分が良くなるんですよ。鹿児島には天文館という繁華街があって、新宿と渋谷と銀座を足したような場所なのですが、そこを大島紬を着て歩くと非常に気持ちが良いです。

毎日カップラーメンばかり食べると空しいのと同じように、いつもTシャツやジーンズの洋服ばかりでは、豊かな気持ちにはならないと思います。きものを着るのはちょっと面倒くさいかも知れませんが、きもの姿で街に出ると、きっと文化を感じることができると思います。これからの自分の為にきものを着るという、特別な時間を是非作っていただきたいですね。

但し、大島紬は製造工程を話したようにとても手間がかかるので何十万とする高価なきものですから、手軽に買えるポリエステルのきものやリサイクルきもので始めていただき、「いつかは大島紬を着たい!」と思っていただけたらとても嬉しいです。

後継者としての役割

最後に大島紬メーカーの後継者という立場でお話いたします。実は大学卒業後10年近くぶらぶらしておりまして、30歳を区切りに実家に戻ったんです。古い業界ですので、当初は辛い思いをしました。物をつくるということは本来非常に楽しいことなんですが、商売の側面もありますので、売上のことなど辛く思う部分もあるわけです。しかし、先程も申しましたように大島紬の美しさというのは不変のものですから、それをつくり上げることはとても楽しく、辛さを乗り越えていける大きな支えになりました。

そして、完成した大島紬を感動してお買上いただけるお客様の存在がこの仕事を今まで続けてこれた要因ですし、これからもその感動を伝えていくために続けていけると思っています。
私の使命は「大島紬の絣の美しさを後世に繋げる」ことだと考えているので、私が父に教わったように、まだ幼い長男に何とか引き継いでいくことができればと思っています。