天然染料で生まれ変わった琉球 “花織”

沖縄の伝統的な織物・花織。その花織が5年前に大きく転換期を迎えました。沖縄に自生する植物から取り出す天然染料にこだわり、伝統に新しい風を吹き込んだ二人の作り手に生まれ変わった花織についてお話しいただきました。(2017年1月24日)
【 パネラー紹介 】)
真壁 節子氏(「工房 真南風(まふえ)」)
読谷山花織 織者
花城 武氏(「工房 真南風(まふえ)」工房長)
読谷山花織 染色
【 コーディネーター 】
矢嶋 孝敏
全国つくりべの会 最高顧問、株式会社やまと 代表取締役会長(対談時)

はじめに

矢嶋:本日の対談は「花織について」と題していますが、正確に言いますと「今の花織」、更に言えば「5年前から生まれ変わった花織」がテーマです。花織の技術は戦後、與那嶺貞さんが復興させてからずっと受け継がれていますが、技術が受け継がれることと、それが今売れるデザインになることとは全く関係がありません。昔の技術を受け継ぐことは一つの価値ですがそれだけで売れる商品はできない。売れる商品を高い技術を継承しながらどれだけつくれるか、が大事です。
昨年もその例として、城間栄順さんの紅型について「琉球びんがた 三代継承の想い ― 城間びんがた工房16代 城間栄市氏 ー」(2016年8月)で取り挙げています。沖縄がアメリカに占領されていた時代に、「これからはきものをつくっても難しいから、テーブルクロスやコースター、ネクタイなどの沖縄らしい民芸品のお土産をつくったらどうか」と提案されたのに対し、栄順さんは「それは違う、テーブルクロスやコースターだけをつくっていたら技術レベルが下がり、沖縄の伝統工芸である染めの唯一の柱である紅型の技術が廃れる。」と答えました。そこで今までやってなかった絵羽でぼかしの紅型きものにまで挑戦して、最高水準の紅型を創っていったのです。その例と今回の対談は通じるものがあるでしょう。
もともと花織は技術としては高いものですが、色はどちらかと言えば地味で沖縄の匂いや風を感じがたいきらいもありました。その花織が何故、そしてどう変わってきたのか、を本日お伺いしていこうと思います。
では本日のパネラーをご紹介します。お一人目は真壁節子さんです。元々は読谷山事花織事業協同組合の技術検査員で、この方が検査証紙を付けないと出荷ができず不合格だとB品になる、という大変怖い立場の方でしたが(笑)、今は花織の織者の第一人者です。
お二人目が花城武さんです。やはり読谷山花織事業協同組合で染色を担当されており、今は読谷にある工房真南風(まふえ)の工房長として草木染の染色に専念されています。組合にいた6年前と今とでは飛躍的に染色技術が進歩していて、グライダーとジェット機くらいの違いがあります。
まず真壁さんにお伺いしたいのは「色」についてです。先ほどお見せした昔の花織と今の花織は、全く色が違いますよね。なぜ、たった5年間でこれほど変わったのでしょうか。

真壁:元々組合にいた時は、どちらかと言えば暗い色が多かったんですね。今は花城さんが草木染に力を入れ様々な色を出すようになったことで、きものや帯のトーンが綺麗に出るように織れるようになりました。以前は黄色や緑など2~3色しかなかったのが、今は薄い色から濃い色まで非常に多くなり、明るくなりました。特に中間色が増えていると思います。

矢嶋:例えば同じ青で何色くらいありますか?また色が豊富になったことで、他にも何か変わりましたか。

花城:青だけでも15色くらいはつくれます。

真壁:明るい色が増えたことが第一の変化ですが、色が増えたことで、暗い色から明るい色にいきなり変わるのではなく、徐々に明るい色を入れるとどういう風になるか、という挑戦ができるようになりました。

矢嶋:それは濃淡のグラデーションができる、ということですか。

真壁:そうですね。またこれも挑戦中なのですが、その濃淡の間に違う色を1、2本でも入れると雰囲気が全く変わるんです。まず地色の濃淡ができ、その上に花織の名のように花が咲く、というように柄ゆきが増えてきたんですね。沖縄の紅型は顔料を用いた染めでなかなか色を混ぜあわせることができず、濃淡のグラデーションは出しにくいので隈取ぼかしという技法を発明しました。織物はそもそもぼかしが難しいのですが、それが可能になったのは色が豊富になったからです。

矢嶋:豊富になった色を見てどう思いましたか。

真壁:色が増えていくにつれ次はこんな色に挑戦したいな、と意欲が湧きます。6年前には紺の色目はせいぜい2色、赤は1色でした。それが今では紺だけでも約20色、全部で約200色まで増えたことで、明るい沖縄らしい濃淡が出せるようになりました。

矢嶋:花城さんに伺いたいのですが、何故それほど色数が増えたのか、また以前との違いも教えてください。

花城:以前は色数を求められておらず、必要な色だけで良い、という感覚であったので、組合時代はあまり色数を探しませんでした。しかし工房真南風を設立するにあたって決断し目標に掲げたのは、「化学染料は一切使わず、草木染だけで染色する」ことでした。今まで化学染料に頼っていた染色を草木染だけで、となるとどうしても不安が多く、当時は数多くの染色を重ねて色数を探すことからスタートしました。そこから草木染の面白さに憑りつかれてしまって…。工房を設立してからの1~2年は、染め切ったと言えるくらいに色んなものを実験し掛け合わせました。その結果ある程度の色数ができるようになり今でも挑戦し続けていることで、これだけの色数になったと思います。

矢嶋:素人考えだと化学染料の方が多く色数が出せるように思いますが、逆なんですね。

花城:僕も知らなかったんですが、逆でした。化学染料が染料としては上だと思っていたのですが、使わないと決めたので前に進むしかないと。しかし染めてみると意外と色数が多く、かつ綺麗に染まったのが事実です。

矢嶋:なぜ一般的には化学染料に頼るのでしょうか?

花城:組合組織の方針でも化学染料を使って欲しいとあったので、その当時は何の疑問も持たずに染めていました。その理由は化学染料は安く手に入ること。色落ち色あせしにくいこと。もう一つは混ぜ合わせたグラム数を記録していれば同じ色が出るからです。一方、天然染料はそんな簡単なものではなく、染める時の温度や湿度、染めの速度などによって発色が全然違うのです。

矢嶋:色とは光の乱反射で光が物体にあたって反射した状態を見る訳ですから、同じ染料で染めても、羽二重か縮緬かで違う色に見えますよね。それを同じ色とは言いません。天然染料で染めた方が色数が多く綺麗に見えるというのは、実は私にとっても大発見でした。その過程では花城さんも驚きの連続だったと思いますが、そのエピソードをお願いします。

花城:先ほど化学染料は均一な色になる、とお伝えしましたが、例えば化学染料で黄色を染めた場合、ひとつの色の集まりのような単一黄色で染まっているように感じます。一方草木染の場合は、黄色ひとつをとってもその中に明るい色の分子もあれば暗い色の分子もあって、それが自分の求めている黄色に染まっていくような、色自体に奥行きがあるのを感じたんです。それを掛け合わせることによってより深くなっていく、そういう感覚が草木染にはあります。

多彩な織りで広がる花織の世界

矢嶋:色が豊富になったことで、これまでと違ってどういうものが織れるようになりましたか。

真壁:両面花織、更にロートン織、花倉織までを織れるようになりました。読谷花織は横置きで色糸を使って花の模様を表現します。糸が一本で、花柄として表に出る部分は点になっていますので、裏に全部糸がそのまま浮いて通っている状態です。両面織は、花綜絖(そうこう)を使うことで、緯糸を入れる本綜絖を一緒に開いて横糸を入れるので、裏表ともに同時に模様が出るんです。片面だと裏に糸がバーッと出たままなので、単衣では当然着られないので袷で着ます。沖縄の中でも読谷の岬は風が強く袷でもよかったのですが、片面式は裏地付の袷のため重たくなってしまうんです。対して両面織は軽くて単衣でも着られて、色々な種類の柄がつくれるという特徴があります。

真壁:次にロートン織ですが、今私たちが織っているのは総ロートンといって、端から端まで全てロートン織です。糸が織られていないところと織っているところとが交互になっているので、あたかも波のような表現になります。
花倉織は織の中では一番難しく、力が入りますから音もうるさいです。両面織と絽の織り方を混ぜたもので、絽用の綜絖を使って一種のもじり織をするのでスケ感のある涼しい織になります。

矢嶋:元々花織も読谷の片織、首里の両面織、与那国の両面織など、島や場所によって織り方も違いました。花倉やロートンも主に首里のものです。それが今回、色数が増えるという技術革新により、同じ読谷の工房で与那国、首里、読谷、全てのものが織れるようになったのは、とても大きな変化です。それは実際やってみてどう思いましたか。

真壁:最初の頃は教える先生がいるわけでもないので、自分たちで本を開いたり、布を切って裂きながらどういう風に織られているかを見たり、皆で試行錯誤しながらやっていきました。現在、工房のほとんどの方がロートン織と花倉織を織ることができます。

矢嶋:片面の花織から始まって両面にいくのはそんなに難しくなかったと思いますが、両面織はどのくらいでできるようになったのですか。

真壁:両面織はすぐできました。ロートン織は端から端までなので、端をどうするか、に苦労しました。花倉織は完成するまでに3年くらいはかかりました。

矢嶋:今では色が増えることによって花織の中にメニューがいっぱいできたわけですね。花城さんはそれを想像していましたか。

真壁:色のグラデーションなどの表現の仕方は両面織の方がいいですし、ゆらゆらとしたロートン織の表現は確かに色数があった方がより明るく鮮やかに表現することができる、というのは後になって気づいたことです。染ができて初めて進めたかな、と思っています。

矢嶋:もう一つ読谷花織の代表的なものは、『琉球布紀行』(新潮文庫・澤地久枝)のカラー挿絵にある、読谷村歴史民俗資料館に収蔵されている濃地に白と赤の花の咲いたきものです。15年ほど前にそれを見た時とても感動して、そのタイプのテーブルセンターを買っていったのですが、民芸品としては本当に素晴らしいです。しかしきものだと民芸品を着ている感じで、今風のきものを着ている、とはならない。そこからカラフルなきものに、このたった5年で変わったのです。
真壁さん、それを変えていく中で苦労したことはありましたか。

真壁:綜絖(そうこう)の作り方が大変でしたね。織物は経糸と緯糸で構成されていて、経糸に1本緯糸を入れるのが基本の1対1で平織になります。それを1対2や2対3にすることで斜めになったり綾織になったりして違う柄が出るのです。それを更に綜絖という機械を使って交差させていくわけで、原理は経糸と緯糸なのですが、花倉織なら、どの綜絖をどう持ってくればいいのだろう、どうして糸が戻りにくいんだろう、とか。綜絖が開きにくいので足でガシャガシャしながら開いてみたら、なんだこれで良かったんだ、って。

矢嶋:今花倉織で一番複雑なのだと、綜絖は何枚くらい使いますか。

真壁:今は市松模様にしておりまして、花綜絖が2枚、織る綜絖と補助綜絖とで計4枚使っています。

矢嶋:大島紬は前段階の締機で全部絣の柄つけがされているので、織る方は絣の完成された経糸と緯糸を絣目が合うように、丁寧に織っていけばいい。もちろん大変根気のいる仕事です。しかし花織は経糸と緯糸をただ平織で合わせていくわけではありません。綜絖を使ってそこに織手が柄を創りだしていく。それが根本的な違いです。だから上手い・下手が物凄く出てきますよね。
話は戻りますが、天然染料にはいくつか問題があって、一つは染料の原材料が無いということです。花織の草木染では、今どのくらいの種類の原材料を使っているのですか。

花城:およそ20~25種類、うち保管できるのは11種類くらいです。そうでない約15種類は生の草木を使用しているのですが、本当はもっともっと増やしていかないといけないと思っていますし、掛け合わせ方次第でより様々な色が出るんじゃないか、というのが課題です。

矢嶋:久米島と奄美とでは切った断面を見るとすぐわかるのですが、同じテカチ(車輪梅)でも木そのものの色が違いますよね。沖縄の島々は海によって仕切られていて、ある島に自生しているものが他の島には自生していなかったり、自生していても種が違い色もが違います。
そういう環境で、染料において「沖縄だからできる」と花城さんが感じられたことはありますか。

花城:発色の強いフクギという染料があって、「そういう染料で、かつ、草木染だけ」と限定したことによって、今までは明るい色が染まらなかったんですね。しかし染め方を変化させていくことで、沖縄独特の黄色や琉球藍の青を出せる、ということがわかりました。

矢嶋:沖縄独特の色とおっしゃいましたが、紅型もそうですが都会の人が沖縄の織物や染物に憧れるのは、東京や大阪にない色だからです。例えば同じ空の色でも東京や大阪と沖縄とでは違うし、青い海の色やウージの畑を思わせる自然の緑の色、朝日や夕日のオレンジの色、日中の黄金の日差しの色、どれをとっても違います。都会に無くなった色が沖縄にはあるわけです。その色を出すのが沖縄に自生している草木染めだというのはとても理にかなっていて、そうでなければ化学染料で誰でもできてしまう。しかし化学染料ではできず最終的に天然染料だからこの色が出せる、というところに行き着いたわけですね。

工房が未来をつくる

矢嶋:ここまで色に関して話してきましたが、続いては工房でのもの創りについてお話いただきたいと思います。私が特に久米島で感じたのが工房の必要性です。久米島で自宅できものを織っている高齢のおばあさんの家にしょっちゅうお邪魔したのですが、電話がかかってきたら出る、宅急便が届くと世間話が始まる、子供が帰ってくるとお菓子を食べさせてあげる、といった具合に、その都度機織の手が全て止まるんです。結果として作業時間は一日に2~3時間ほどです。これでは効率が上がりません。
対して実際に工房で創るのにはどういった良さがありますか?

真壁:現在工房には常時12名が在籍していて、9時に出勤して17時半には終わります。きちんとその時間、機に向かっているというだけではなく、工房でやっているとわからない点や色の組み合わせなどを皆さんと相談をしながらできるので、それは非常に良い点だと思います。自宅にも織機はありますが、織っていても意見を聞くことができません。携帯で写真を撮ってどういった色を入れるべきか相談したりもできますが、やはり工房で作業する方が良い点はたくさんありますし、相談しながら進められることが一番大切ですね。工房でやることによって、一人では解決できない技術の改良・改善・向上ができるということです。

矢嶋:隣の人を見て「負けない」とか考えたり、速さを比べたりすることはありますか。

真壁:そういう風に考えたことはあまりないですね(笑)。皆さんそれぞれのペースがあるので、競争をしたこともないです。

矢嶋:競争せずとも歴然とわかりますよね。

真壁:この人は速い、というのはよくわかります。一日でも追い抜こうという気持ちはあるのですが、なかなかできないですね(笑)。

矢嶋:速く織れれば量を織れることになるので、当然収入が増えますよね。自宅でやるのが悪いわけではないですが、技術と生産性が上がらない点が課題として見えてきます。真壁さんがおっしゃったように一日9時から17時半まで作業すれば一反を2週間で織れる人でも、自宅で織ると1ヵ月も2ヵ月もかかってしまうこともある。その改善策の一つが工房を設けることです。現状は非常に少ないですが、今後増えていかなければ技術と生産性の向上は難しいと思います。その意味では、花城さんは染めに従事しているだけではなく工房長という立場で生産性の向上に対応しているわけですが、そういった観点からは今の工房のやり方をどのように感じていますか?

花城:まず染めの話からしますと、私一人で20名余りの織り手が使う糸を染めているのですが、もし織り手の方一人ひとりが自分で染色をすると、おそらく1年間に数回しか染める機会がないと思います。20名分をまとめて染めることで、1ヵ月に染められる量は他の方と比較できないほど多く色数も比べものにならない位多くなります。その点は工房の良さだと思います。染めた糸を織り手に使っていただくわけですが、やはり工房があって常時何名かの方がいることは、様々なことをお願いしやすいです。真壁さんがやっていることに少し近い形で、自分の技術を足したような色のグラデーションでロートン織の帯をつくって欲しいなど、皆で目指すモノ創りが共有できます。

天然染料で染めた糸

花城:そういった意味では、一緒にモノ創りをする土台にいられるということが、私が使って欲しい糸を使ってくれる、皆と共有できるといった感覚にはなると思います。
元々沖縄の織り手は、染めも括りも整経も織りも全て一人でできてしまいますが、一人では染めの色を6~8色出そうとすると非常に大変で、更に2~4反ほどの少量を手間暇かけて創らなければなりません。染めてくれる人がいれば、もっとたくさんの色数を非常に効率的に使うことができます。逆に織り手が一人しかいなければ多くの色を染めても無駄になってしまいますが、織り手20名いれば、20倍の幅がある色を出すことができます。

矢嶋:染めと織りとがバランスよく分業されることで、新しいモノの創り方、技術革新ができ結果として色の変化に繋がるのですね。
ここで整理をしなければならないのは、化学染料の方が良い色が出るのではないか、という思い込みです。確かにつくるのは化学染料の方が楽ですし、天然染料は山に行って木を切ってこなければならないので大変です。木は販売されていると思っている人もいるのではないでしょうか。

花城:草木染で使う染料は、全て自分で取りに行っています。台風など大きな自然災害に見舞われた時でも、私にとっては折れてしまった木や倒木から貴重な染料がいただける機会です。例えばフクギは県の天然記念物に指定されているものもあるので、勝手に切ることはできませんし、防風林・防潮林・防火林として屋敷を囲っている大変貴重な木ですので、そういった木を倒すことはありません。道を拡張する際に切り倒したものや、台風の際に電線にかかることを防ぐために枝落ちをさせたものでなければ手に入らないのです。

材料となるフクギ

矢嶋:城間先生の首里のご自宅の入口のそばに、何本かフクギが植えてあります。現在83歳の城間栄順先生が産まれた時にお父様の栄喜さんが植えたものだそうですが、それほど太くはありません。83年ではまだ細いのです。

花城:そうですね。成長が非常に遅い木ですね。

矢嶋:染色に適した100年、それ以上の樹齢の木を探さなければならないのは想像もつかないことですね。大島紬でもそうですが、染め上がったものはきれいですが、その前工程が実はとても大変なのです。化学染料は注文すればビンに入って届けられるので、どうしてもそういった安易な方法に流れてしまいがちです。文明的な安易さでつくることに慣れきってしまっているのです。先ほどの花城さんの話の中で、「ひとつの黄色」という話がありました。そういった自分たちにとって都合の良い「画一的な黄色」を文明的に使っていることになります。
それに対し文化はとても面倒なものです。奄美に行っても「とても良いテーチ木が手に入ったから見て欲しい」と言われることがありますが、まるで築地でマグロの尻尾の切り口を見て値段を決めるようなイメージです。先日八丈島でお会いした染め手の方も自分で山に入って木を取ってくるそうで、「とても良い木が手に入った。見てくれ、これで良い黒が出る」と喜んでおられました。読谷にも奄美にももちろんハブがいて、そのハブを避けながら山に入っていくわけですが、そういう苦労があってこのような色が出る、ということを是非わかってもらいたいと思います。
次に、今後どのようなことをやっていきたいか、を教えてください。

花織のこれから

真壁:花城さんの染めた糸で、まだ使っていない糸がた~くさんあります。それらを色々組み合わせて、皆さんがあっと驚くような着尺や帯を織っていきたいです。

花城:僕は好きでやっている仕事なので、これからも様々な色を染めていきたいと思っています。織り手の方は杼という道具を使って織り上げていきますが、かつては2~3本しか使いませんでした。それが今では10本、20本は当たり前になっています。私が色を増やせば増やすほど、織り手の方に苦労をかけてしまうことになるのですが、やはり良いものをつくりたいという想いがあるので。よく「これは本当に草木染ですか」と聞かれるのですが、その草木染の独特の透明感ある、尚且つ深い色目を求め続けていきたいと思っています。そしてその透明感のある深い色を引き立てるための、対比となる渋い色の草木染を上手に組み合わせていただけるように、織り手の皆さんと相談して色を染めていきたいです。最近は縁あって久米島や西表島、竹富島にも出向いて、そこでも染色を教えて、その島々の自生の草木で染色をすることができています。その意味で沖縄中の草木を染めきっていきたい、一生をかけて色を探求していくつもりです。

矢嶋:西表島、竹富島、石垣島のミンサーや、久米島紬の染色の指導もされているのですね。指導に行かれた時のエピソードをお聞かせいただけますか。

花城:自然が豊富にあってとても羨ましい、というのが第一印象でした。久米島はとても小さな島なのですが、山が深いので染料が豊富にあります。西表島は水も豊富で、至る所がジャングルで観葉植物系の畑がたくさんあって、そこから簡単に染料が手に入ることにもとても驚きました。もう一つ感じたのは、染色をされているのが皆さん女性で、一気に同じ色に染めようとしていましたので、これだけ色々な染料があるのに何故たくさんの色を出さないのかを不思議に思いました。その方々には技術指導だけではなく、面倒臭がらずに楽しく、面白く染色ができるという気持ちの面をお教えしたら、私が伝えたかった以上のことを感じてくれて、物凄いエネルギーが返ってきたのでとても驚き、本当に感動しました。

矢嶋:これまでの話をまとめますと、私たちがこれから扱おうとしている花織は6年前まではお客様にご提案できなかったもの、ということです。100%沖縄自生の天然染料で染めた、沖縄の色が本当に出た今までになかった花織、そしてその色を染めるには原材料の木から刈り取ってくるという努力や、染色において化学染料と比べればコントロールしにくいという問題を克服していく過程があります。
一方その糸で花織を織り上げる方にとっても、花綜絖を使ったロートン織や花倉織などといった、今までのやり方と比べれば遥かに面倒なやり方が求められます。かつての読谷の花織は、今と比べればある意味画一的でつくり手にとってはやりやすいものでした。今はもっと個別で面倒な作業です。しかし安易な画一さや化学染料を捨て、敢えて面倒な綜絖をたくさん使うやり方や、手間のかかる天然染料にこだわることによって、画一的文明では出ない、個別の文化としての染めと織りができているのです。では最後に、一言ずつお願いします。

真壁:私たちも良いものづくりをしていきたいと思っていますので、皆様是非宜しくお願いいたします。

花城:たくさんの良い色を染め、沖縄の色を限りなく出していきたいと思っていますので、たくさんの方に触れていただけるよう、今後とも宜しくお願いいたします。

矢嶋:お二人とも、本日は本当にありがとうございました。